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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
協力・資料提供/深川江戸資料館
第6回 台所をのぞけば、その時代が見えてくる。
天保年間(1830〜1844)の長屋の台所
天保年間(1830〜1844)の長屋の台所
[1]流し
[2]3人家族の台所
[3]単身者の台所
[4]七輪

 台所という場所は不思議な場所だ。その家の暮らしぶりや家族構成、そこに暮らす人の趣味すら判明してくるものだ。江戸庶民の住まい、長屋の台所はいったいどんな風だったのか。当時の暮らしを想像してみるのも楽しい。生活の知恵も隠れていそうだ。
 長屋の台所はとにかく狭い。玄関というか、入口の戸を開けて入った所がすぐ台所で、土間にあることが多い。幅2メートルくらいのスペースにいろいろな道具を工夫して配置してある。無駄がない。
 「へっつい」と呼ばれるかまどで煮炊きをする。燃料はもちろん薪だ。煮炊きが終われば、薪の燃え残りや炭状になったもの、これを熾(おき)というが、「火消し壺」(写真1奧)に入れ蓋をして消火、保存する。この熾があると、次もすぐ火をおこしやすく合理的である。魚は、「七輪」(写真4)を表の路地に持ち出して焼いた。長屋の情緒あるお馴染みのシーンである。「火吹き竹」も薪を燃やすのに欠かせない便利な道具。「水がめ」(写真2右部)、「水桶」、「たらい」などは台所の必需品だ。

 包丁やまな板などは、ほとんど現在のものと形状に大差ないが、「流し」は大きく変貌を遂げた。江戸という時代を反映している。それは、水との関わり方が現代と決定的に違うからである。

右上に続く >

当時は、野菜や食器を洗うために、水をふんだんに使える環境になかった。写真1のように、シンクに相当する部分が妙に浅い。水をためることもないし、水ハネを心配するほど水は使わなかったと思われる。

 ここからは、筆者の想像であるが、水がめの水は、主に炊飯用や飲み水で、洗い物は共同井戸で済ませた。流しは主に、調理の作業台として使ったのではないだろうか。それに、よくよく見てみると、排水の穴がないのである。いったいどういうことか。これは、流すほどの量がなかったためではないだろうか。わずかな排水のために、設備を作っても手間がかかるだけ。それ以前の問題として、長屋には下水路があったが、十分機能していたかも疑問であるからだ。
 まず、水がめから柄杓で水を汲む。何かを洗うとしても、それは流しの上に置かれた小さなたらいの上で水を受ける。たらいの水は、路地にまいたり草花にやったのだろう。それほど貴重な水だから、飲むときは、現代の私たちよりはるかにおいしいという感覚で飲んでいたに違いない。

 かまどや流しは、立って使うものと座って使うものの2種類があった。なぜ座るかといえば、立つスペースをなくせば、その分部屋を広く使え、狭さをカバーできるから。まさに、生活の知恵だ。写真3は、畳から直接かまどに対している。日本古来の「座る文化」は、長屋の台所にも表れている。  

ちょっと江戸知識「コラム江戸」
厨房といえそうな船宿のキッチン。
船宿のかまど
船宿のかまど(鍋の右側にあるのは火吹き竹)
 これは、なかなか立派な台所である。といっても、一般の長屋のものではない。「船宿」の台所にあるかまどだ。船宿を簡単に説明すると、江戸の下町辺りは、交通手段として船を使うことが多かった。基本的には船着き場近くにあり、宿泊施設というよりは、ちょっと一休みする場所だった。船宿は、行楽へ出かける客や吉原へ遊びにいく客の送り迎えをする場所。敷居のあまり高くない料亭といったところで、川辺に数多くあった。
 長屋のへっついは、土や石で作られていたが、このかまどは何と銅製だ。熱伝導性の高い銅が用いられた。つまり、料理の効率を上げるための業務用かまどといえる。
 かまどの上部にある小さな蓋に注目しよう。ここで、酒の燗をしたようだ。お湯を沸かしたという説もある。両方使ったのかもしれないし、他の用途があったのかもしれない。いずれにしても、このかまどの構造はアイデアもので、現代でもカタチを変えて使えそうな気もする。
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