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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
協力・資料提供/深川江戸資料館
第7回 長屋は、やっぱり暮らしやすいところだった。
長屋内部
長屋内部
(奥さんと二人暮らしの木挽職人の住まい)

 江戸の町へタイムスリップしてみよう。だいたい150年くらい昔の長屋へ。場所は下町の深川だ。

 ここに住んでるのは、木場で木挽職人(こびきしょくにん)の大吉さん(40歳)と、女房のお高さん(35歳)だ。木場は、字の通り江戸に向けて全国から材木が海や川を経て集まってくる場所で、木挽職人も数多くいた。大吉さんは、木場で15のときから真面目に働いてきた人物で、長屋でもみんなから慕われている。長男(20歳)と次男(18歳)も大吉さんの後を継いで木場で働いて独立していると聞く。
 部屋には、商売柄大きなノコギリもあるし、その下には道具箱があった。奥さんは、きっときれい好きなんだろう。ふとんもちゃんとたたんで風呂敷に包んで部屋の隅に置いてある。台所もきれいだ。押し入れや天袋がないので、天井近くの梁に板を渡して物を置く、これも収納の工夫だろう。畳があって、家財道具も一通り揃っている。普通の長屋暮らしの世帯と思われる。家賃は月500文くらいだろうから、一人前の職人の収入の、16分の1といったところか。
 現代人にとって珍しいものとしては、中ほどの行灯、長火鉢、入口には蓑(みの)が吊り下がっている。神棚は、どこの長屋にもあった。みな信心深く、長屋の敷地内にあるお稲荷さんへのお参りは生活の一部でもある。

 ここで長屋の概略を簡単にまとめておこう。長屋は大きく分けて、武家屋敷の長屋と一般庶民の長屋がある。前者は、参勤交代のため江戸に住む大名の家臣や、中下級の武士が住んだ。今テーマにしているのは、後者の町民地の長屋である。
 一般に長屋は「九尺二間」といわれているサイズだ。各戸の間口が九尺(約2.7メートル)、奥行き二間(約3.2メートル)の広さのアパートと思えばいい。長屋によってサイズは多少違うが、ここに単身者も家族も暮らしていた。

 ところで、長屋の暮らしを不便で、貧乏くさいと考えている人がいたら、それは大きな間違い。それは、現代人の感覚での比較に過ぎないからだ。テレビやパソコンがなくても、不便ではないはずだし、コンビニも必要ない。
 長屋は一種の共同体で、大家も含めてみんなが助け合って生活した。「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」というわけである。困ったら、誰かが助けてくれるという安心感があった。マンションの一室で、奥さんが育児ノイローゼになるなんてことはあり得ないのである。貧乏は確かに貧乏である。でも、みんな貧乏である。それでいて気楽でのんびり暮らせた。江戸には、真面目に働けばとりあえずやっていける社会があったのだ。  

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ちょっと江戸知識「コラム江戸」
いろいろな機能を持ち備えた長火鉢。
長火鉢
長火鉢 鉄瓶の手前にあるのが銅壷(どうこ)
 江戸時代の丁度品は、本当に美しいものが多い。職人がきちんと作っているから、しっかりしていて見栄えもいい。長火鉢もそのひとつ。基本的には木炭を使う暖房器具で、他にも使い道がいっぱいあった。
 中に五徳(ごとく)を置いて、鉄瓶をかけておけば、いつもお湯が使える。五徳とは火の上で鉄瓶を支える道具で、鉄製の輪に三本の脚が付いたものだ。そういえば、現在のガスコンロにもこれに相当するものが付いている。
 銅壷(どうこ)も入っている。ここで湯を湧かして酒の燗をした。引き出しには海苔や煙草を保管した。つまり、火鉢の熱を利用した乾燥器を兼ねていたのである。
 長火鉢の炭火でちょっとした料理くらいはできそうだし、天板も付いていてテーブルがわりにも使える。独り者の食事なら、こんな便利なものはないだろう。
 それにしてもこの長火鉢、現在の和室に置いてもおかしくない。実用的なインテリアとしてもいけそうだ。
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