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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
協力・資料提供/深川江戸資料館
コラム江戸
第29回 竃の神様は荒神様。火の用心、火の要慎。
長屋の台所「流し」と「へっつい」(手前30センチくらいの空間がある)
長屋の台所 「流し」と「へっつい」(手前に30センチくらいの空間がある)

天保期(1832〜1844)の長屋の台所風景である。生活に困っているわけでもなく、とくに裕福というわけでもない、ごく一般の長屋住まいの暮らしが見てとれる。住人を想定してみると、職人の一人住まいか…。かまどには鍋用と米を炊く釜用の二穴もあるところからすれば、奥さんや子どももいるかもしれない。
一穴のかまども長屋には多い。一穴のものを「一つべっつい」、二穴のものを「二つべっつい」と言う。

かまどは「へっつい」と呼ばれていた(前に言葉が入るとべっついと濁る)。かまどは「竈」という難しい漢字を書くが、へつついとも読み、それが訛ってへっついとなったのだろう。
竈には、かまどの神の意味も含まれている。現代では希薄になってしまったが、火を使う場所はどこの国の文化も例外なく神聖な場所として扱われてきた歴史がある。長屋の住民も、火を大切に扱った。かまどの神様である「荒神様」を祭ったり、お札(ふだ)を貼ったりした。
家の中で火を焚くという行為は、もともと危険な行為には違いなかった。かまどの周りは木が多く、いったん火が出たら木造の集合住宅である長屋はみるみる燃え落ちる結果となる。実際長屋は火事が多い。人々は火の始末に細心の注意をはらい、火を恐れもした。荒神様はもちろん、「火の用心」のお札も貼った。「火の要慎」と書いたものもある。要慎という文字からは当時の人々の火に対する姿勢が伝わってくる。お札を柱に貼るには飯粒(めしつぶ)を使った。

長屋の台所にある大きな物としては、写真にあるように「へっつい」、その左側の「流し」、他に水を溜めておく「水がめ」あるいは「水桶」などがあげられる。
へっついの構造は、粘土を固めたもので、中に石や漆喰(しっくい)を混ぜたりもした。石をくり抜いて作られたものもある。へっついは土間に直接つくりつけたり、このように板の間にも置いた。その際は、へっついの底面側面を板で囲い、箱状にした台底には10センチ程度の脚を4本付けている。防災上どれほど効果があるかどうかは分からないが、移動も可能で、掃除もしやすいのは確かだ。

当時の台所の特徴は、作業を現在のように立ってするよりも、座ってすることを前提に作られていることにある。この写真の場合、手前の畳の部分に座ったり、腰かけて作業した。へっついや流しの前の空間が狭いのはこのためである。この畳の部分はもう部屋の中で、寝起きする生活空間だ。狭い長屋の生活空間を少しでも広く活用しようという工夫が、台所の設計にもあらわれている。

天窓(屋根側より)天窓(台所側より)
ちょっと江戸知識 コラム江戸
天窓(屋根側より) 天窓(台所側より)
天窓は江戸時代の換気扇

長屋の台所でおかみさんが、家族のために料理をしている情景を想像してみよう。ごはんを炊いたり、煮物をつくっている場面。ガスや電気のない時代、当然燃料は薪だ。…ということは、家の中に相当の煙が発生することになる。おかみさんは、けむくて料理どころではない。長屋の空間は狭く、換気に適した構造になっていない。出入り口の戸を開けるのが、手っ取り早いのだが…。 
そこで「天窓」が考え出された。簡単に言えば、換気用に屋根につけた窓。天窓は、へっつい(かまど)の真上の天井(=屋根)につけ、スムーズな排煙を可能にした。
この仕組みには感心する。いつも開けっ放しというわけにもいかないので、開閉するために工夫が凝らされている。天窓の扉を開く方向と閉じる両方向にひもを渡して丸竹を介して引っ張った。換気ができるだけでなく、薄暗い台所に光も採れる生活の知恵だ。便利な天窓がついている長屋は、店子に人気があったという。

文 江戸散策家/高橋達郎
協力・資料提供/深川江戸資料館
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