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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
協力・資料提供/深川江戸資料館
コラム江戸
第40回 深川の一大行楽地だった富岡八幡宮。
『東都歳時記』八月十五日 富賀岡八幡宮祭礼(深川八幡祭の様子)
『東都歳時記』八月十五日 富賀岡八幡宮祭礼(深川八幡祭の様子)

江戸の下町を代表する「深川」。深川といえば、江戸っ子の頭に真っ先に浮かぶのは「富岡八幡宮」や「深川八幡祭」だ。「辰巳芸者」「木場」と答える人も多かったことだろう。
隅田川の東側の本所や深川は、江戸時代に人口がどんどん増えた地域である。神社仏閣も多く、住む人が増えると、さらに地方の神仏を勧請(かんじょう)して寺社が増えるということになる。また、江戸市中の大火のために、移転してくるケースも多かった。
ということは、あちこちの寺社でそれぞれの祭事がある。いつもどこかで何らかのお祭りやイベントが催されている状況だ。また、それを好んで暮らしのなかに一体化していたのが江戸庶民だったともいえる。とにかく、飲んで騒いでお祭りを楽しむことが大好きなのだ。何か大きなイベントがあると、人がダーッと動く。それは今もそうかもしれないが、どこかノリが現代人と違うような気がする。

深川の最大のイベントは、「富岡八幡宮」の祭りだった。富岡八幡宮は、寛永年間(1624〜1644)に菅原道真の子孫とされる僧侶、長盛上人(ちょうせいしょうにん)が先祖伝来の八幡神像をこの地に伝えたのが始まりといわれている。近くの「富賀岡八幡宮」と八幡神像の関係からの創建説もあるが、伝承の域を出ていない。
「富岡八幡宮」と「富賀岡八幡宮」、一文字違いの八幡宮が近所にあるということは興味深い。富岡八幡宮(江東区富岡一丁目)は、寛永4年(1627)創建、通称「深川八幡」。富賀岡八幡宮(江東区南砂七丁目)は万治2年(1659)、海岸に面した洲を開拓してできた砂村新田の鎮守として創建された。通称「元八幡」と呼ばれている。
この図会の表題には富賀岡八幡宮と書かれているが、これは富岡八幡宮のことだ。ややこしい話だが、江戸時代の史料には深川八幡を「富賀岡八幡宮」「富ヶ岡八幡宮」と表記することが多い。
この深川八幡祭は多くの人を呼び込んだ。赤坂山王神社の山王祭、神田明神社の神田祭とならび、江戸三大祭に数えられている。

祭りに欠かせない神輿(みこし)には、宮神輿(神社所有)と町神輿(町所有)がある。富岡八幡宮には、江戸時代に紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)が奉納したと伝えられる宮神輿があったが、関東大震災で建物といっしょに焼けてしまった。町神輿だけではさみしいと、平成3年(1991)に奉納された宮神輿がすごい。鳳凰の目には何カラットものダイヤが光り、ルビーや宝石、純金をふんだんに使った黄金の神輿だった。総重量約4.5トン、結局あまりにも大きく重くて担ぐのが困難であることから、二の宮神輿が平成9年(1997)につくられ、実際に担がれている(約2トン)。この日本一豪華な神輿は境内に展示してあるので一度は鑑賞しておきたい。

『江戸名所図会』亀戸天満宮祭礼
ちょっと江戸知識 コラム江戸
『江戸名所図会』亀戸天満宮祭礼
西に大宰府、東に亀戸天神。

本所、深川地域の観光名所として江戸時代から知られたのは、「富岡八幡宮」とならんで「亀戸天神社」だ。ご存じ学問の神様、菅原道真公を祀っている。亀戸天神社は、太宰府天満宮の社に倣って寛文3年(1663)につくられた。東宰府天満宮ともいう。神殿の形や太鼓橋、心字池などよく似ている。本家の太宰府は梅で有名だが、こちらは藤が有名。藤の花見の名所でもある。
祭礼のときはとくに人出も多い。またこの季節は祭りが立て続けにある。8月15日の深川八幡祭、20日の元八幡宮祭、25日の亀戸天神祭、9月の神田祭(現在は5月)と続くことになる。小さな社を含めると他にもいっぱいお祭りがある。いきおい江戸っ子は忙しくなる。
これらを夏祭りと今は呼んでいるが、時季的には秋の祭りである。旧暦で行っていた月日を、そのまま新暦にはめ込んだためにそうなってしまった。秋の実りの季節にこそ神に感謝するのが自然のような気もするのだが…。

文 江戸散策家/高橋達郎
協力・資料提供/深川江戸資料館
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