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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
コラム江戸
第44回 歳の市は、浅草から始まり各地へ広まった。
『江戸名所図会』十二月十八日 年の市 観音堂の西面より念仏堂のかたを望む図
『江戸名所図会』十二月十八日 年の市 観音堂の西面より念仏堂のかたを望む図

歳(年)の市は酉(とり)の市と混同しがちだ。発音も似ているし、時期も酉の市は11月、歳の市が12月と近い。市の由来は明らかに違うのだが、縁起物や正月用品を売るという点では、内容はさほど違わないような気がする。いずれも正月支度のためのバザーのような性格の市だ。歳の市は、その年の最後の市「納めの市」ともいわれる。成立は万治年間(1658〜1661)ころの浅草とされている。

歳の市は江戸各地で開かれたが、もっとも有名で人を集めたのは浅草観音の歳の市だった。その盛況ぶりはこの図会の通り。ごちゃごちゃ描かれている部分は全部人、人、人である。こんな光景が本当にあったのだろうかとも思えるが、きっと作者は群衆が押し寄せ、活気に満ちた歳の市を表現したかったのだろう。細部を見ると、いろいろな物が売られていることが分かる。「大安売り」ののぼりは今に通じる。細かくて見づらいかもしれないが、店の看板に「正月屋」「えびす屋」「大黒屋」「宝来屋」「福徳屋」など…縁起のよい屋号の店が並ぶ。「万歳屋」などはなかなか思い切った店名だ。
歳の市で売られている物は、しめ飾りや神棚、羽子板や凧などの正月用品だけでなく、海老や鯛、昆布、餅などの食品、まな板や柄杓、桶などの台所用品。さらに衣料や植木まで幅が広く、生活雑貨全般に及んだ。
図右下には桶が積まれている。これは若水(わかみず)をくむための桶を売っているところ。若水とは元日の朝にその年初めてくむ水をいう。若水を神前に供えるのは武家や商家ではどこでもやる儀式である。神聖な若水をくむための桶は当然神聖な桶でなくてはならない。したがって毎年新調することになる。その縁起のいい桶を一年大事に使い、また来年の歳の市で買う慣わしである。
まな板などの台所用品をなぜこの時季に人々は買い求めたのか。出費の多い師走に、わざわざ買わなくてもよさそうなものだが…。現代なら、壊れたとか古くなったとか、新製品が出たとか、そんなときにこういう日用品は買うはずである。江戸の人々は違っていた。そこには日本人特有の精神構造があったのだろう。新年を迎えるに当たって、そうとう気合いが入っているのである。食べる(食べられる)ことへの感謝の気持ちか、新年へ向けての祈りか、美意識か、若水をくむ桶に通じる気構えのようなものを感じるのである。

江戸の主な歳の市は、12月14・15日の深川八幡境内、17・18日の浅草観音境内、20・21日の神田明神境内、22・23日の芝神明境内、24日の芝愛宕神社下、26日の麹町平川天神境内、そして25日〜30日の日本橋四日市へと続く。日本橋の歳の市は「納めの歳の市」と呼ばれ、まさに一年のしめくくりの歳の市だった。

浅草・羽子板市 (豪華な押し絵の羽子板がずらりと並ぶ)
ちょっと江戸知識 コラム江戸
浅草・羽子板市 (豪華な押し絵の羽子板がずらりと並ぶ)
羽子板市、もともとは歳の市。

羽子板市とは歳の市のことである。浅草寺がそうであるように、売られる商品が羽子板中心になったため、羽子板市と呼ばれるようになった。浅草寺の現在の羽子板市は、羽子板一色である。
羽子板は江戸時代以前にすでにあり、古くは宮中での羽根つきの遊び道具だったようである。羽をついて遊ぶ羽子板が庶民に広まったのは江戸時代、なぜお正月の遊びになったのかは分からないが、おそらく新年の縁起物として受け入れられたのだろう。「新しい年の厄を羽根のける」と説く人もいるが、ちょっと苦しくはないか?
現在もっとも歳の市らしい歳の市の面影を残すのは、薬研堀不動院(やげんぼりふどういん)の歳の市。地元の保存会によって復活したが、江戸の日本橋四日市の流れをくむ由緒ある市なので一度行ってみたい。衣料問屋街にあり、衣料品が多いのが特徴だ。12月27日〜29日(中央区東日本橋2-6-8 都営浅草線 東日本橋駅すぐ)

文 江戸散策家/高橋達郎
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