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第23回 「皆既日食と島の宝」
おばちゃんの食堂からの景色。

おばちゃんの食堂からの景色。

ほんとうの豊かさとはなんだろうか。物の量?家や財産?ハイテク?
この4月、東京をスタートしてから約5ヵ月、日本国内をバイオディーゼル燃料で走り、いろいろな方達とお会いして話をしていると、そんなことを思うようになった。そこで僕は皆既日食の見える奄美大島で島に残る宝物を探す旅に出てみた。

日本の村や町、島などでは過疎化が進み深刻な問題になっている。特に離島には中学校や高校がないため子供達は小学校を卒業したら島を出て行く。今では廃校になった小学校も多く、小学生がいても1人か、2人というところもあった。学校から子供の声が聞こえなくなり、村の行事の中心だった小学校がなくなると村の活気も遠ざかって行く・・・。
島の人々は都会の生活に憧れ、都会の人々は田舎の暮らしに憧れる。
都会から地方に憧れて移り住むIターンと呼ばれる人々は、島を何度か訪れるうちに気に入り、仕事をやめ移り住んだ人達だ。都会からみたら田舎は沢山の宝物があるように思う。それは目に見えない人と自然とのつながりや動物の自然な姿、また地元の人にとって当たり前である美しい大自然なのだろう。

過疎化は、昔に比べ価値基準が変わり、昔ながらの生き方が合わなくなったことで自然と共存していた自給自足の循環型社会が崩壊した結果の一つなのだと思う。
奄美大島で、自分の島の未来、そして自分の子供の未来に不安を感じて島をなんとかしたいというサーファーに会った。彼は皆既日食に合わせて未来を考えるトークイベント「とうとがなし」を主催しようとしていた。彼と話をしているうちに島の宝物を探してみようと思いつく。

店のオーナー兼料理長のおばちゃん。

店のオーナー兼料理長のおばちゃん。

そこで島を回っているうちに一軒のレストランに出会った。それはレストランというよりも食堂といっていいだろうか、屋根も壁もない自然に囲まれた場所だった。大きなガジュマルの木の下にテーブルとイスがあるだけ、そして目の前は海と白い砂浜があるだけの食堂。

おばちゃんが作る奄美・油そーめん。

おばちゃんが作る奄美・油そーめん。
 

店のオーナー兼料理長のおばちゃんが、気の向いたときにだけ開ける食堂らしい。その日に準備ができた食材によってメニューが変わるそのおまかせ感が実家に帰った様な気分になり、心地いい。ゆったりとした時間の中で食べる家庭の味。 これぞ地球食堂。澄んだ蒼い海と眩しい白い砂浜、木陰の涼しい風を感じながら食べる奄美料理は、とても贅沢この上なく感じた。

食量は大地で自分の手で耕し、そしてその日必要な分だけ自分の手で収穫して食べる、その当たり前の贅沢が感じられなくなっている事にむしろ問題があるのかもしれない。

写真の右下に見えるおばちゃんの地球食堂。ガジュマルの木の下は島の人達の憩いの場所にもなっている。

写真の右下に見えるおばちゃんの地球食堂。ガジュマルの木の下は島の人達の憩いの場所にもなっている。

豊かさとはなんだろう。生きるという事はどういうことなんだろう。
昔はお金がなくても生活ができ、生きて行くのに必要なものは目の前にあったのだ。その目の前に用意された必要なものが見えなくなったとき、バランスを崩しはじめ循環の輪は崩壊していくのだろう。

海外でしか手に入らない遠くのものや希少価値のあるもの、一時的に楽をするための電化製品や乗り物などを所有できることや、
お金でモノの価値をはかる暮らしがよいとされる社会。
それで本当に幸せになったのだろうか、健康になっているのだろうか。
島の宝を探していると、そんなことを考えさせられる。

今もあの大木の下にある海の見える食堂が忘れられない。

「とうとがなし」とは

とうとがなしとは奄美の言葉で、人や自然に対し最大級の「感謝」とか「ありがとう」という気持ちや祈りをあらわしたことば。
とうとがなしトークイベントWEBサイト

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