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第29回 「東日本大震災に遭遇して、今できること 0エネルギー自給への取り組み0」

 

ご存知のように僕は天ぷら油を燃料にして走るバイオディーゼルカーで日本一周中だ。じつは3月11日はちょうど岩手県に入ったその日だった。運命のようなタイミングで東日本大震災に遭遇したのだ。内陸に滞在していたため津波の直接の被害は免れたものの、都市機能が麻痺した街で住民は混乱し、食糧や懐中電灯などの必需品を確保するために閉店したスーパーに長蛇の列を作っていた。
地震直後から東北一帯でライフラインが途絶え、何より人々が困ったのはガソリンが手に入らなくなったこと。移動することも沿岸部に救助へ行くこともできずに頭を抱えていた。しかし僕の車は廃油さえあれば走ることができる。すぐさま近くの豆腐屋さん等から廃油を集め、バイオディーゼル燃料作りを始めた。水や食料を地元の農家さんからわけてもらい、車内にぎゅうぎゅうに詰め込んで沿岸部へと急いだ。

 

今年の3月は春には程遠く、まだ雪が降るほど寒い季節だった。アイスバーンの峠を超えて沿岸部の被災した街へたどり着くと、我が目を疑うような光景が続いていた。車やあらゆるものが家の壁に突っ込み、道がどこにあったのかわからないほどの瓦礫の山。鉄骨すらアメ細工のように曲がるほどの津波の威力に、街が倒壊してしまっていた。そのあまりにも悲惨な状況に言葉すらなかった。
 避難所では食料不足と栄養の偏りに加え、灯油もなく、厳しい寒さとの戦いが日々続いていた。避難所を一件づつ周りながら状況を把握し、不足している物資を聞きピンポイントでわけながら支援を始めた。しかし僕のバイオディーゼルカー1台で運べる量は、ほんのわずかにすぎない。そこで天ぷら油で車を走らせている全国の仲間に呼びかけると「僕の天ぷらカーを渡すので使ってほしい」「じゃあ、僕が運転手をするよ」「それなら足りない物資を満載にして車を届けよう」と、次々に協力の声をあげてくれたのだ。こうして、最大4台の天ぷら油カーを被災地で動かし、支援を続けることにした。

被災地で必要とされるものは、食料から生活物資まで日々刻々と変化した。ニーズにあわせて物資を届け、情報を収集し、被災者の送迎も行った。一番過酷さを極めたのが震災後一ヶ月。中でも切実だったのは燃料不足だった。どの避難所へ行っても、口を揃えて言われるのが「燃料がほしい」ということ。多くの避難所は各地の高台に点在し、災害対策本部から車で数十分かかることもある。坂道もあるため、お年寄りが身動きするには困難な場所ばかりだった。「燃料があれば行方不明の家族や親戚を探しに行くことができる」「家がどうなったのか見に戻れる」「遺体安置所まで安否確認へ行くことができる」……そう、ガソリン燃料さえあれば。
 こちらでバイオディーゼル燃料を分ける用意はあったけれど、残念ながらどの車もガソリンエンジン。ディーゼル車やディーゼル発電機が一台も見当たらず、とうとう燃料を分けることができなかった。
 そんな毎日で痛感したのは、緊急時に使用できるエネルギーシステムがいかに重要であるかということ。せめて外からの救助が安定するまでの間、皆で助け合って生き延びるためのエネルギー確保を行うこと。それには普段から地産地消のエネルギーシステムの取り組みが欠かせないと思うのだ。

 

震災から半年以上が過ぎ、各被災地では仮設住宅や新居での生活がスタートした。仕事を探し、とにかく前へ歩み出し、街づくり復興案が懸命に進められている。いっぽうで、地域単位で取り組めるエネルギーシステムについての具体的な指標は明確にされていないのが現状だ。今回の震災で浮き彫りになったのは、当たり前のように使い、頼りきっていたエネルギーシステムのもろさと、エネルギー自給率の低さ。街ごと失うような経験を通じ、エネルギーや暮らし方に対する人々の意識が変わったことは間違いない。
 今僕は、日本一周を中断し、短期支援から引き続き長期的な支援へとシフトして、エネルギーの支援プロジェクトを実行している真っ最中だ。豊かな自然を内包する東北だからこそ、様々なエネルギーの可能性があるのだ。それも地域単位でできる身近な取り組みが・・。
 これを読んで頂いている皆さんにも、一人でも多くの方に関心を持って頂き、応援してもらえたらいいなと思っている。今後も現地活動や様子を伝えていきますので引き続きこのサイトをご覧下さい。

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