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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
協力・資料提供/深川江戸資料館
コラム江戸
第31回 道灌山(日暮里)には、風流人が集まった。
『江戸名所図会』道灌山聴蟲 (どうかんやまむしきき)
『江戸名所図会』道灌山聴蟲 (どうかんやまむしきき)

『どんなご趣味をおもちですか?』と聞かれたら、あなたはどう答えるのだろうか。読書、映画、ゴルフあたりが会話としては自然かもしれないが、どうも面白みに欠ける。そこで筆者からの提案。ためしに『趣味は虫聴き(むしきき)です』なんていうのはどうだろう。これはかなり意表をついた答え方であり、あなたは風流人として一目置かれることウケアイである。

「虫聴き」というのは、早い話が郊外へ出かけて行って秋の虫の音を聴いて楽しむというものである。松虫、鈴虫、クツワムシ、コウロギなど、お馴染みの虫の音を聴くために、江戸の人々は好んで出かけた。庶民も武士も秋の夕暮れ時に出かけては耳をそばだてた。
江戸には、虫聴きの名所があった。No.1は道灌山である。名前の通り、江戸城を築城した太田道灌(おおたどうかん)の屋敷があった場所で、山というより小高い丘である。現在のJR西日暮里駅に隣接する荒川区西日暮里三丁目〜四丁目の辺り。今は開成中学・高校がある。筆者もここを訪れてみたことがあるが、当時の面影はもうない。西日暮里公園にいくらか当時の雰囲気が残っている。
江戸時代の道灌山は、眺望もよく四季折々の自然が楽しめる江戸庶民のいわば観光スポット。文人墨客(ぶんじんぼっかく)も数多く訪れた。この辺りは諏方(すわ)神社、浄光寺、修性院、青雲寺、養福寺、本行寺といった名だたる寺社があり、季節の花が咲き乱れた。虫聴きはもちろん、花見や月見、雪見にも最適な場所だった。
「日暮里」という地名は本来「新堀」と書く。なぜ字が変わったかといえば、どうも江戸人特有の洒落らしい。人々は新堀を日暮里という字に当て「日暮らしの里」と呼んだ。のんびり心地よく時間を過ごせる場所だったことが伺われる。

当時の虫聴きの様子がこの図会に美しく表現されている。構図も素晴らしい。眺めのよい場所に陣取った男たちが酒を酌みかわしながら、今昇ったばかりの満月を愛(め)でている。思いきりくつろいでいる男もいる。BGMはリーン、リーンと鈴虫の声。左の坂道には、虫籠を持った子ども。捕ったばかりの虫を母親に見せているところだろうか。
江戸名所図会の本文には「道灌山」と題してなかなかの名文が載っているので紹介しておこう。現代仮名遣いに改めると次の通り。
『…殊に秋の頃は、松虫・鈴虫露にふりい出て、清音をあらわす。よって雅客幽人(がかくゆうじん)ここに来たり、風に詠じ月に歌いて、その声を愛せり。』
風流というのは、きっとこんなことをいうのだろう。虫聴きのような遊びを忘れてしまった現代人は、ちょっとさみしい気もする。

虫売りの屋台(担いで虫の声を叫びながら売り歩く)
ちょっと江戸知識 コラム江戸
虫売りの屋台(担いで虫の声を叫びながら売り歩く)
江戸には、虫売りの行商人がいた。

晩夏から秋にかけて江戸市中には、松虫や鈴虫を売る「虫売り」がやって来た。写真のような屋台に虫籠をいっぱい積み、担いで町中を売り歩いた。幕府が業者の数を制限するほど多くの虫売りが出て、虫は武士にも長屋の住民にも人気があったようである。
秋の虫を楽しむ虫聴きは、道灌山や飛鳥山に出かければ簡単なのに、なぜ買ってまでしたのだろうか。野山の虫をわざわざ家で聴くというのは、たとえ裏長屋であろうとも大江戸八百八町で暮らす一種の誇りある生活スタイルだったからである。
秋の虫の音を楽しむことは、日本古来からの娯楽であり文化だった。何も江戸時代に始まったことではない。平安時代の源氏物語五十四帖にはすでに『鈴虫の帖』として登場し、鈴虫や松虫の音を楽しむ様子が書かれている。江戸時代には、社会が安定したこともあって虫聴きのような娯楽が一般庶民に広く流行したのだろう。

文 江戸散策家/高橋達郎
協力・資料提供/深川江戸資料館
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