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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
コラム江戸
第71回 龍馬19歳、剣術修行中に黒船来航。
坂本龍馬像 東京都品川区東大井2-25-22 北浜川児童遊園(京浜急行「立会川駅」下車)
坂本龍馬像 東京都品川区東大井2-25-22 北浜川児童遊園(京浜急行「立会川駅」下車)

龍馬像は東京にもある。よく見れば、どこかで見覚えのあるカタチ。高知の桂浜に建つ龍馬像にウリふたつ、レプリカである。高知市から寄贈された龍馬像だ。場所は品川から京浜急行線に乗って立会川(たちあいがわ)駅下車、駅前の児童遊園にある。駅には「ようこそ坂本龍馬ゆかりの地 立会川へ 龍馬像は階段を降りて左側です」の大きな看板が迎えてくれる。
ここには江戸期、土佐藩の品川下屋敷(幕府からの拝領地)があり、200メートル程離れた海辺に土佐藩の抱(かかえ)屋敷(拝領と異なり藩の買入れ・借用による土地)があった。この抱屋敷は土佐からの荷物の陸揚げに使用されていたが、ペリー来航後は外国艦船からの攻撃に備えて土佐藩が砲台を築いた場所である。「浜川砲台」という。砲台跡には実際に使われた礎石があるので、こちらにもぜひ足を運びたい。ここが龍馬ゆかりの地というのは、土佐藩の命によりこの地で沿岸警備の任に就いたことによる。その期間、下屋敷を宿舎として、実際の警備は抱屋敷に詰めていたと思える。

土佐藩士坂本龍馬が藩の許可を得て江戸へ初めて出てきたのは、嘉永6年(1853)の春。その名目は剣術修行である。北辰一刀流の千葉定吉(ちばさだきち/千葉周作の弟)道場の門を叩く。場所は、嘉永7年の『江戸切絵図』によると、現在の東京駅近くの鍛冶橋交差点〜八重洲ブックセンター辺りだ。入門して2カ月も経たないうちに大事件発生、6月3日、ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀沖にやって来たのだった。幕末動乱の端緒が開かれた黒船来航である。偶然にもこの国家の一大事に龍馬は遭遇してしまったのである。幕府をはじめ、江戸市中は慌てふためき大騒ぎとなった。
幕府の号令で各藩は一斉に割り当てられた沿岸警備につき、龍馬も藩の命令で品川下屋敷に急行した武士の一人だった。好奇心旺盛な龍馬は、巨大な黒船を自分の目で確かめに行ったことだろう。そのとき龍馬19歳、熱き志士の目には黒船を通して何が見えたのだろうか。黒船来航は、龍馬と日本の行方を左右する大事件だった。父親へ宛てた手紙には『…異国船所々に来たり候へば、いくさも近き内と存じ奉り候、その節は異国の首を打ち取り帰国つかまつるべく候』と、そこには攘夷(じょうい)に燃える龍馬の姿がある。
後に、外国との戦争に勝ち目がないことを悟った龍馬は、日本の進むべき道を模索し行動していくようになっていくのである。ペリーは久里浜で鎖国中の日本に上陸を果たし、アメリカ合衆国大統領親書を幕府に渡して、来春の来日予告とともに引き揚げて行った。

「幕末の風雲児」「幕末動乱を駈け抜けた志士」などと称されるように、とにかく龍馬はカッコイイ。歴史上のヒーローである。その業績からして、お札の肖像になっていないのが不思議なくらいである。それは、明治維新直前に燃え尽きてしまったことも関係しているのだろう。維新以降活躍した著名人が多く、その陰で目立たなくなってしまったのかもしれない。明治も後半になってから評価も高くなり人気が出た。龍馬を題材にした小説や漫画、映画やTVドラマが数多く存在し、その時代時代にブームを呼んだ。近年では司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』(1962)が傑出しており、大河ドラマ『龍馬伝』と合わせて楽しむこともできる。
それにしても、龍馬の人気はスゴイ、ファンの数も半端ではない。全国に龍馬を敬慕する「○○龍馬会」の名前をもつ団体が130以上あり、海外にも数団体あると聞く。こんな日本人は他にいない。

 
吉田家/品川区東大井 2-15-13 tel.03-3763-5903
ちょっと江戸知識 コラム江戸
吉田家/品川区東大井 2-15-13 tel.03-3763-5903
龍馬も食べた? 吉田家の蕎麦。

立会川(たちあいがわ)の龍馬像と浜川砲台跡を訪ねたら、立ち寄ってみたい所がある。安政3年(1856)創業の蕎麦の老舗「吉田家」。創業時は同じ東海道沿いでも、少し品川寄りの鮫洲(さめず)に店を構えていたという。大正元年に現在の地に移転。江戸時代の東海道は今や幅数メートルの一方通行の道路にすぎないが、当時は参勤交代の諸大名も通った幹線道路、龍馬も何回もここを歩いたことだろう。しかも、近くの土佐藩品川下屋敷と浜川砲台は東海道を挟んだ位置関係にある。確証はないが、吉田家の蕎麦を食べた可能性は高い。
十割の手打ち蕎麦が基本だが、ここには面白いメニューがある。「龍馬せいろ」とは何だろう? 中身を聞いてなるほどと思った。軍鶏(しゃも)肉入りだ(1,800円)。
そういえば龍馬は軍鶏鍋が好きだった。龍馬最期の日となったのは、慶応3年(1867)11月15日。この日の晩、京都河原町の近江屋(おうみや)にいた龍馬は中岡慎太郎と一緒に軍鶏鍋でもつつこうかと思い、下僕に軍鶏肉を買いに行かせていた。好物の軍鶏肉を待っている間に刺客に襲われてしまったのである。現代の我々にはそんな心配もないので、ゆっくり「龍馬せいろ」をいただきながら龍馬を偲ぶことにしよう。
吉田家は地元でもかなり格式の高いお店のようで、著名人も訪れるらしい。別室には歴史ある蕎麦打ちの道具や品書きなどが陳列されている。

文 江戸散策家/高橋達郎
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