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コラム江戸

鬼は鬼でも角がない、鬼子母神。

雑司ヶ谷鬼子母神堂に掲げられた扁額(東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20) 

『鬼滅の刃(きめつのやいば)』が大ヒットとなった。人気漫画が単行本化され、劇場アニメとなって興行記録を塗り替えている。その人気は全国に波及し、主人公・竈門炭治郎(かまどたんじろう)の名前が入った「宝満竈門神社(福岡県太宰府市)」や炭治郎が修行中に切った岩によく似た「竜の割石」(長野県須坂市)など、新たな観光スポットが生まれるほどである。
『鬼滅の刃』は鬼のために家族を失い、妹が鬼にされてしまった主人公が、妹を人間に戻すために戦いの旅に出るというストーリー。さて、この鬼の所在を日本文化のなかに探ってみたい。

 

神話・伝説・民話などから分かるように、鬼は大体のところ悪者と決まっている。鬼を退治する話が多い。その一方で人々を救う善良なる鬼もいて、仏像となって信仰される鬼もいる。
善良なる身近な鬼神として、鬼子母神(きしもじん、きしぼじん)が挙げられる。子授け・安産・子育ての神様だ。
鬼子母神信仰はいつ頃からだろうか。奈良・平安時代にはすでにあったが、各地の鬼子母神の創建の時代をみると、江戸時代にかなり広まった信仰だといえる。

  • 雑司が谷鬼子母神堂

雑司ヶ谷鬼子母神堂の鬼子母神はちょっと変わった字を使っているのが特徴だ。よく見ると「鬼」の字が違う。最初の一画の「ノ」、つまり鬼のツノにあたる部分がないのだ。この漢字書体がPC上で見当たらないので、タイトル以外の本文では鬼の字で代用させていただきたい。
なぜか、最寄り駅の駅名「鬼子母神前」にはツノがあった。駅名もツノを取るべきだと思うが、きっと不便だろう。同様に、「恐れ入谷(いりや)の鬼子母神」で有名な入谷の真源寺の鬼子母神もツノを取った字を用いている。
ツノのない字を使うのには、理由があった。鬼子母神の物語を紹介しよう。

 

昔のインドのお話。鬼子母神は、千人もの多くの子どもを産んだという。残虐な性格の鬼子母神は、近隣の幼児を盗んでは自分の子どもたちに与えて育てていたため、人々から恐れられていた。その様子を見兼ねたお釈迦様は、鬼子母神の末の子を隠し、子どもを失う親の悲しさや苦しみを教え戒めたのだった。
「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の子の一子を喰らうとき、その父母の歎きやいかん」
そのとき鬼子母神は自らの過ちを悟り反省して、安産・子育ての神になることを誓ったのだという。
…改心した鬼子母神には、もう恐ろしい鬼のツノは不要になったのである。各地に残るほとんどの鬼子母神像は、雑司ヶ谷鬼子母神がそうであるように、片手に子ども抱き、もう一方の手には柘榴(ざくろ)を持っている。そして鬼ではなく天女の姿をしている。柘榴は種が多く豊穣や子宝の象徴であり、吉祥果(きちじょうか)とも呼ばれる縁起の良い果実だ。

鬼にまつわる話はあちこちにあるが、江戸の人々の暮らしのなかにも自然に入り込んでいたように思う。子どもは鬼ごっこをし、節分では「鬼は外」。お参りに行く神社仏閣、そして城の屋根にも鬼瓦が付いていた。鬼瓦は装飾のためでだけではなく、厄除けの鬼として建物を守っている。相撲界にも鬼がいた。四股名(しこな)は「鬼面山谷吾郎(きめんざんたにごろう)」。幕末から明治にかけて活躍し、143勝24敗とその強さを誇った明治初期の横綱である。
また、天下祭といわれた「神田祭」には大江山鬼退治を題材にした山車の行列も出た。このような鬼はもう縁起物である。

  • 『江戸名所図会』神田明神祭禮

鬼は、神であり仏であり、恐れはするものの親しみのある不思議な存在である。善悪を知らしめ、信仰を集めながら暮らしのなかにずっと根付いてきた日本の歴史的、民族的キャラクターといえるだろう。『鬼滅の刃』のヒットにはそんな土壌があるようである。

文・写真 江戸散策家/高橋達郎

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