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文 江戸散策家/高橋達郎
コラム江戸
第53回 炬燵を出すのは、十月の初亥の日。
『絵本常磐草』享保15年(1730) こたつで本を読む女性たち  『江戸風俗図絵』(柏書房)より
『絵本常磐草』享保15年(1730) こたつで本を読む女性たち  『江戸風俗図絵』(柏書房)より

ちょっと寒くなったなぁ、と思えば、今ならエアコンのスイッチひとつですぐ部屋は暖かくなる。江戸時代はそうはいかない。寒いと感じたら、炬燵や火鉢(ひばち)を出して暖まればいいと思いがちだが、このような暖房器具を使い始める日というものが決められていた。寒かろうが、暑かろうが、十月の亥(い)の日である。幕府から強制されたわけでもなく、江戸の人々はこの日を守っていた。この日を「炬燵開き」とか「炉(ろ)開き」と呼んだ。亥の日に暖房器具を出すことは一種の行事であり、習慣でもあったようである。

旧暦の十月は初冬である。だんだん寒くなり、武家も町屋も冬支度をする。武家屋敷の「炬燵開き」は、十月の初亥の日(最初の亥の日)、町屋の一般庶民は、二番目の亥の日(12日後)と決まっていた。ここの差は身分からくるものだが、庶民はさほど不満はなかった。暖房には、木炭などの燃料費がかかるため、少し我慢するだけでその間は節約にもなるという側面もあったと思う。
旧暦の十月の初亥の日は、2007年の場合は11月13日、次の亥の日は25日である。年によっては、新暦に換算すると12月にずれ込むこともあるだろうから、こんな年は寒くてたいへんだっただろう。「炬燵開き」がなぜ亥の日なのかは、一般的には次のように説明されている。旧暦では、月にも日にも十二支(子、丑、寅、…)が割り振られている。十月は亥の月である。亥の日の亥(イノシシ)は、火(火難)を免れるという信仰があった。そこから亥の月の亥の日に火(暖房器具)を使い始めれば、その冬は火事にならないと信じられていたからである。なお陰陽五行説では、亥は「水性の陰」としてとらえられるため、火に勝つとされている。

茶道の世界にも「炉開き」がある。火を使う点では同じだが、茶道では湯を沸かすために用いる炉を、風炉(ふうろ)から炉に切りかえる行事をいう。風炉とは持ち運びのできる炉である。この場合も十月の初亥の日が武家、二番目の亥の日が町屋と決められていた。現代では、11月の亥の日(稽古の関係上、場合によっては土・日曜日)を炉開きとしていることが多いようである。茶道の世界ではこの「炉開き」を新年とみなしている。炉開きは、新茶を始めて使う「口切(くちきり)」が行われる日。新茶の入った壷の口を切って使い始める、口切の茶会が催されるのは現代も同じである。

炬燵には、堀(ほり)炬燵と移動可能な置(おき)炬燵がある。堀炬燵は部屋に炉が切ってあり(夏は畳などで蓋をする)、その炉に炬燵櫓(やぐら)を置き布団をかけて使う。だから炬燵開きとも炉開きともいうのだ。それにしても炬燵という暖房器具は、どこか人間の温(ぬく)もりを感じるものだ。炬燵を囲めば、家族一人ひとりの距離も縮まり会話も自然に増える。見直したい暖房器具である。

手あぶり火鉢 (手をかざして暖をとる) 深川江戸資料館
ちょっと江戸知識 コラム江戸
手あぶり火鉢 (手をかざして暖をとる) 深川江戸資料館
冬の生活必需品、手あぶり火鉢。

長屋住まいの人々は、実際どのようにして冬の寒さをしのいだのだろう。江戸の冬は今より寒かったはずだ。夏の暑さより冬の寒さのほうが、きっとたいへんだったと思われる。長屋の中を見回しても、そうたいした暖房器具があるわけではない。炬燵(こたつ)や火鉢くらいである。囲炉裏(いろり)は当時、東北地方では一般的だったかもしれないが、狭い長屋にあるはずもなかった。
写真は、長屋でよく使われた「手あぶり火鉢」。椀の形をした直径20〜30センチ位の小型の丸火鉢だ。素焼きで、写真のように表面に紙を貼ったものもある。中に灰をいっぱい入れて、そこに炭火を置いた。名前のように手をかざして手をあぶる程度のものなので、暖房器具としてはたいして期待はできないが、それでも狭い長屋では、場所をとらず移動も簡単で便利だったと思える。おなじみの長火鉢も併用されたが、こちらは湯沸かしという役目もあり、通年で使用した火鉢である。
寒い日は、炬燵や火鉢の周りに家族みんなが集まったことだろう。どんな話を交わしたのだろうか。銘々が重ね着をして、一カ所にまとまって手をあぶりながら団らんする情景現代人には、ちょっとうらやましい。

文 江戸散策家/高橋達郎
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