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第2回 「西サハラ縦断の旅」
今も昔と変わらぬ生活を続ける北アフリカの人々。僕は、初めて会った人にも友人のように心を開いてくれる気さくな彼らが好きだ。年に一度の彼らとの交流は、僕の心に多くの力を与えてくれている。
第2回 「西サハラ縦断の旅」

ヨーロッパから地中海を渡り、サハラ砂漠を縦断する地球規模の冒険ラリー「ユーロミルホー・ダカール2006」(通称:パリダカ)に、プレスとして今年もまたラリーカーを仕立てて同行した。このラリーとの出会いは、僕が25歳のころサハラをバイクで単独縦断したときにさかのぼる。以来毎年のようにこのレースを追い続けている。

「なぜ、危険なサハラに行くのか?」「どうしてそんな地球の果てに行くのか?」などと聞かれることがある。確かに、アフリカ大陸は日本の約80倍、サハラ砂漠だけでもおよそ20倍もある広大な土地だ。そこをバイクや車で走ることは海に小舟を浮かべるようなものだが、刻々と変化する砂の大海原をイルカのように縦横無尽に走れる喜びは、他では味わえぬ素晴らしさがある。サハラ砂漠には雪が積もる山脈もあれば、グランドキャニオンのような大渓谷もあり、ダイナミックで美しい大地なのだ。また、レーススタート地のヨーロッパから北アフリカに渡り、サハラを縦断して、ニジェール川を渡り西海岸に到達する約9,000kmの道のりで出会う人々との触れ合いも、もう一つの楽しみである。


北アフリカに入るとベルベル人や、砂漠をラクダで移動する遊牧の民トゥアレグ族などに出会い、ニジェール川流域へ行くと黒い肌に丸い顔立ちでパッチリとした目の人懐っこい人々、さらに南のギニアでは色々な血が混ざった顔立ちの美男美女とすれ違う。南下するに従い気候も暖かく、それと同時に人の性格もおおらかになってくる。純粋で素敵な人々との出会いは忘れられない思い出となる。例えば、暖かいので扉のない藁の家に住んでいる人に外から道を尋ねると、手招きされて「まずは一緒に食事をしていくように」とすすめられる。中に入ってみると、洗面器のような一つの大きなボールにその日採れた野菜や魚、肉などが盛りつけられたご飯があり、10人ほどの大家族と一緒に手づかみで昼飯をご馳走になった。大家族なので一人増えてもたいして問題ないということか、どんな人ももてなすという習慣があるからなのか、とにかく包容力がありとても気さくだ。

彼らの暮らしは昔からあまり変わらない。土をこねた日干し煉瓦で家を造り、羊を飼い、火をおこし外で調理する。ソルガム(穀物)のもみを杵でつくという重労働を含め、家事洗濯、育児はすべて女性の仕事。男性は井戸端会議なのか、昼間からボーッとして何もしていない、様に見える。この慣習は、独特な宗教観によるものらしいのだが・・・。

ともかく女性の労働力は多大で、大家族を養う台所は独特のものがある。調理場は数軒が共同で利用し、子育てや情報交換の場としても重要な役割を担っている。ガスや電気がいっさい通っていないため、食事の支度は家の前で火をおこし、そこで調理するというのが一般的。共同調理場では米を炊いたり、湯を沸かしたり、炒めたりと、大きな窯やなべを使った調理を行う。お隣同士が台所を共有しているので、食材のやりくりがうまくいくのもこのスタイルのいいところだろう。

女性達は仕事をしながら歌をよく歌い、笑い声が絶えない。底抜けに明るいのだ。そして食事は大家族が一同に集まって、一家団欒の時を過ごす。確かに物質は足りないかもしれないが、家族が一つにまとまり明るい笑顔が溢れている彼らを見ているとなぜかホッとする。何百年という間、さほど文明の影響を受けずに、親から子へ、子から孫へ伝えられる昔と変わらない生活を彼らは今も続けている。夜になり涼しくなってくると村人達は焚き火に集まり、お手製の楽器を奏でながら歌と踊りに包まれる。まるで毎日がキャンプファイアー状態だ。日本や文明国では電化製品やコンピューターなどに依存して会話が減り、他人への思いやりを持てない人が増え、目の輝きが失われつつある最近、アフリカの人々の方が精神的に豊かで幸せな暮らしをしているように思えてならない。(つづく)

ユーロミルホー・ダカール2006(通称:パリダカ)とは

パリ・ダカとは、1979年にティエリー・サビーヌというフランス人青年が始めたもので、パリを出発してアフリカの大地を約3週間かけて走破、雄大な自然を相手に自らの知力、体力、精神力のすべてを駆使して臨む世界一過酷なラリー。毎年1月初頭にスタート(※)し、全走行距離は約10,000kmに及ぶ。今年は日本からの参加者を含め、モト(二輪)部門232台、オート(四輪)部門174台、カミオン(トラック)部門69台の競技車に、アシスタントカー237台を加えた合計712台がエントリーした。(※今回のスタートは2005年12月31日にリスボンからとなった)

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