お正月の江戸の大通りを散歩してみよう。場所は日本橋の通油町(とおりあぶらちょう)だ。現代では、東京メトロの日比谷線 小伝馬町駅が近いと思われる。
通りに面しているお店は、その看板から分かるように本問屋である。本問屋の文字の左右には、鶴屋喜右衛門(つるやきえもん)と書かれている。鶴屋の屋号にふさわしく、お店のマークも鶴だ。鶴屋は江戸で有名な書店、今でいう規模の大きいブックセンターのような存在である。他に蔦屋(つたや)という有名店もあった。本屋は日本橋界隈に集中していた。それには理由がある。ここは芝居町が近く、当時は本に書かれたものが芝居になったり、芝居の内容が本になったりもした。当然読んだものは観たいし、観たものは読みたいのが人情というものだろう。
日本橋という場所はまさに情報の発信地であり、旅人も、商人も、参勤交代のお侍さんも、江戸のお土産を日本橋や浅草で買い求めたはずである。本屋で買う草紙類や浮世絵は、お土産にもってこいである。本を持ち運ぶのは重いだろうと思われるかもしれないが、心配には及ばない。和紙は薄くても丈夫で、しかも軽い。筆者の経験上、江戸時代の書物はとにかくみな軽いのだ。『東海道中膝栗毛』のような長編も分冊されているし、その点は売る方も心得ている。地方から出てきた者が江戸の書物を持ち帰ったら、本の内容はともかく、田舎ではかなり自慢できたのではないだろうかと思う。
本屋は、最初は京都にある本屋の江戸出店という形で登場した。江戸の本屋は大きく分けて二種類。仏書や医書などの学問的な書物を扱う『書物屋』と草紙(仮名書き、絵入りの冊子)などの大衆書を扱う『地本屋』である。鶴屋は地本屋で、京都鶴屋の江戸店だった。
この図会の説明文(右上)には、『錦絵(にしきえ)』というタイトルが付いている。『江戸の名産にして他邦に比類なし 中にも極彩色殊更高貴の御もてあそびにもなりて諸国に賞美すること尤もおびただし』とあり、江戸土産として錦絵の人気の高さを伝えている。鶴屋は錦絵も売っていたことが分かる。錦絵は明和年間(1764~1772)に登場。木版で多色づかいの色彩の華やかなものだが、浮世絵の一種だと思えばいい。絵暦(今日のカレンダーに相当)に用いられたのが最初で、贈答品でもあった。鶴屋の店頭には錦絵を買う人、奧には大量の錦絵が積まれている。通りでは凧揚げをする子ども、どこかへ年始のご挨拶にいく籠(かご)に乗った大名の奥様? まことに正月らしい光景である。ちょっと足元が寒そうではあるけれど…。
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