現代は次から次へと新しい健康関連商品が発売されて、いつも何らかの健康ブームがある。それは江戸時代も同じで、かたちは今と違うが健康への関心の高さは、相当なものがあったことが伺える。医療技術や薬の未発達だった時代、人々はどのように健康や病気と付き合っていたのだろうか。
庶民が日頃使っていた薬は、「売薬(ばいやく)」と呼ばれるものである。薬草や動物の脂肪などを利用した丸薬(がんやく)、膏薬(こうやく)などの大衆薬で、広く普及し、また種類も多かった。江戸には薬の行商も大勢やってきた。長屋の住民はこの行商人から薬を買っていたはずである。有名な薬は店舗を構えて売られていた。
図は、大伝馬町(おおでんまちょう)の通旅籠町(とおりはたごちょう)にある、三升屋平右衛門のお店。艾(もぐさ)を売っている店だ。「もぐさ」には燃え草という意味があるように、灸(きゅう)に使うもので、原料は「よもぎ」の葉である。人々はこの「もぐさ」で灸治療した。「よもぎ」の葉は万病に良いとされ、煎じて飲んだり、薬として食べることも一般的だったようである。実はこの「もぐさ」には「団十郎もぐさ」という名前が付いている。店主の平右衛門は、人気の芝居役者「市川団十郎」から「団十郎もぐさ」とし、団十郎の紋「(みます)」を商標として使うばかりか、自らも「三升屋」と名乗っている。もちろん、「団十郎」と「もぐさ」は何のかかわりもない。こういう「あやかり商売」は江戸では一般的で、実際いろいろな人が団十郎○○という代物を売っていた。いいかげんのような気もするが、それが江戸の社会だった。
病気も軽ければ売薬程度で治せるだろうが、はやり病となると深刻である。特効薬がまだなかった江戸時代、疫病(伝染病)はもっとも恐れられていた。天然痘、コレラ(コロリ)、麻疹(はしか)などは年によってはかなり流行し、死亡率も高かった。とくに子どもは、天然痘、麻疹、水疱瘡を無事に通過することが大事だった。江戸時代の平均年齢には諸説あるが、40歳台の前半あたりに落ち着いている。これは、幼児の死亡率がとても高かったためにはじき出された結果の数字だ。幼児期を首尾よく通過して成人すれば、平均60歳以上は生きられたようである。
いずれにせよ原因も予防法も分からない疫病に対して、漢方医学は無力だった。町医者に診てもらえる富裕層も、余裕のない庶民もこの点は平等である。疫病になす術もなく神社仏閣の参拝、願かけ、まじないをする江戸の人々の気持ちは察するに余りある。
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