天保期(1832~1844)の長屋の台所風景である。生活に困っているわけでもなく、とくに裕福というわけでもない、ごく一般の長屋住まいの暮らしが見てとれる。住人を想定してみると、職人の一人住まいか…。かまどには鍋用と米を炊く釜用の二穴もあるところからすれば、奥さんや子どももいるかもしれない。
一穴のかまども長屋には多い。一穴のものを「一つべっつい」、二穴のものを「二つべっつい」と言う。
かまどは「へっつい」と呼ばれていた(前に言葉が入るとべっついと濁る)。かまどは「竈」という難しい漢字を書くが、へつついとも読み、それが訛ってへっついとなったのだろう。
竈には、かまどの神の意味も含まれている。現代では希薄になってしまったが、火を使う場所はどこの国の文化も例外なく神聖な場所として扱われてきた歴史がある。長屋の住民も、火を大切に扱った。かまどの神様である「荒神様」を祭ったり、お札(ふだ)を貼ったりした。
家の中で火を焚くという行為は、もともと危険な行為には違いなかった。かまどの周りは木が多く、いったん火が出たら木造の集合住宅である長屋はみるみる燃え落ちる結果となる。実際長屋は火事が多い。人々は火の始末に細心の注意をはらい、火を恐れもした。荒神様はもちろん、「火の用心」のお札も貼った。「火の要慎」と書いたものもある。要慎という文字からは当時の人々の火に対する姿勢が伝わってくる。お札を柱に貼るには飯粒(めしつぶ)を使った。
長屋の台所にある大きな物としては、写真にあるように「へっつい」、その左側の「流し」、他に水を溜めておく「水がめ」あるいは「水桶」などがあげられる。
へっついの構造は、粘土を固めたもので、中に石や漆喰(しっくい)を混ぜたりもした。石をくり抜いて作られたものもある。へっついは土間に直接つくりつけたり、このように板の間にも置いた。その際は、へっついの底面側面を板で囲い、箱状にした台底には10センチ程度の脚を4本付けている。防災上どれほど効果があるかどうかは分からないが、移動も可能で、掃除もしやすいのは確かだ。
当時の台所の特徴は、作業を現在のように立ってするよりも、座ってすることを前提に作られていることにある。この写真の場合、手前の畳の部分に座ったり、腰かけて作業した。へっついや流しの前の空間が狭いのはこのためである。この畳の部分はもう部屋の中で、寝起きする生活空間だ。狭い長屋の生活空間を少しでも広く活用しようという工夫が、台所の設計にもあらわれている。
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