「煤払い(すすはらい)」は、「煤掃き(すすはき)」とも言った。現代ではどちらもあまり耳にする言葉ではない。それもそのはず、煤というものがほとんど出ない生活スタイルになったからだ。江戸時代だけでなく、火をつかう日本家屋では例外なく煤がたまった。電気やガスが普及する前までは、この時季どの家でも天井の煤払いをやっていたのである。
毎日の炊事には薪や炭を使う。竈(かまど)もあれば、囲炉裏(いろり)もある。照明用のロウソク、油からも煤が出る。暖房用の火鉢、夏の虫除けには蚊遣り(かやり)の中で青葉や木片を燃やしていた。江戸城から長屋に至るまで煤払いをしたのだった。
煤払いは、年末の大掃除に相当するが、単に生活上必要に迫られてするような行為ではなかった。新年を迎えるに当たっての、お清めの儀式のようなものだった。一年間たまった煤やほこり、穢(けが)れを払う伝統的な神事と言っていい。正月の準備に注連縄(しめなわ)を張ったり、松を飾ったりするには、まず家中をきれいにしないといけないわけだ。煤払いには、先に葉を残した状態の竹、笹や藁(わら)を竹竿の先に束ねてくくりつけたものを使った。これで煤を払ったり掃いたりした。
とまあ、理屈はさておき、この図の煤払いの様子はいかにも楽しそうである。いつも感心してしまうのだが、江戸人はやらなくてはいけない行事も、いとも簡単に楽しくこなす能力を持ち備えている。神事をお祭りやイベントにしてしまうのだ。
「商家煤掃」と題されているように、この図会は大店(おおだな)、つまり大商人の家の煤払いだ。使用人をはじめ、商家に出入りしている鳶職人などが作業をするのが慣わしである。左下では威勢よく煤払いをしている様子。その上の間では、もう作業が一段落したのか蕎麦をすすりながら宴会気分の人たちも。右上では踏み台の上で竹ぼうきを持って踊っている者。なぜか胴上げをしている人たちもいる。江戸学の祖、三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)氏の研究によれば、大奥でも煤払いの後、奧女中が胴上げをしたとある。胴上げと煤払いの関係はよく分からない。特別な意味があるのだろうか。
左上の路上には煤払い用の竹の行商人。その横に積まれたままの畳。ということは、煤払いはまだ途中だ。早朝から大勢で、丸一日かけて楽しみながら煤払いをする雰囲気である。
煤払いの日は江戸中12月13日と決まっていた。この日に江戸城で煤払いをやっていたからで、庶民もこれにならった。これが済むと、明日からは正月用品を買い求める歳(年)の市が始まる。
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