Home > 江戸散策 > 第42回
この三つが江戸時代の代表的な月見である。十五夜は現代人にも馴染みがあるが、十三夜や二十六夜待ちの風習はなくなってしまったようで残念だ。それぞれの月見にはいったいどんな意味があったのだろうか。また、江戸の人々はどのように楽しんだのだろうか。 最初に、月に関する基本的なことを少し押さえておこう。江戸の人々は現在のような太陽暦ではなく、月の運行を基本とした旧暦(太陰太陽暦)を用いていたこと。つまり、月の満ち欠けの周期である一朔望月(いちさくぼうげつ)を基本とした暦のなかで暮らしていた。 一朔望月が約29.5日であることから、29日と30日の月を交互に配した十二朔望月を1年とした。すると1年が354日になり現在の太陽暦とは約11日のずれが生じる。そのため閏月(うるうづき)を入れる年(1年が13カ月ある年)もある。ずれかたも一定ではなく、だいたい1カ月~2カ月弱くらいは違うことになる。 一朔望月は、新月(朔)→上弦→満月(望)→下弦→新月(朔)とめぐる。月が見えない新月から、右側からだんだん光り始めちょうど右半分見える状態が上弦、満月を経て今度は右側から欠け始めてちょうど左半分が見える状態が下弦、そして全部欠けた状態の新月に戻るという順序である。この新月を1日目として、15日目を「十五夜」、13日目を「十三夜」、26日目を「二十六夜」と呼んだ。いずれにせよ、月の満ち欠けのそれぞれの段階で江戸の人々は月見を楽しんでいた。 ■十五夜 …旧暦8月15日の月が「中秋の名月」。旧暦の秋は7月・8月・9月、それぞれ初秋・仲秋・晩秋と呼ぶ。「中秋の名月」と書くのは、8月(仲秋)の名月という意味ではなく、秋の真ん中の名月であるからだ。別名「芋名月」。十五夜は必ずしも満月になるとは限らない。2006年は10月6日が十五夜、翌7日が満月。 ■十三夜 …旧暦9月13日(2006年は11月3日)の月見。十五夜だけの月見は「片見月(かたみつき)」といって良くないとされ、翌月十三夜の月も見るべきとされた。別名「後の月」。月見団子は十五夜が15個に対して、十三夜には13個供えるのが面白い。お供え物も旬の物が出揃う。「豆名月」「栗名月」の異名もある。 ■二十六夜待ち …旧暦7月26日(2006年は8月19日)の月見。月の出がだんだん遅い時間になるので、「~待ち」という。真夜中に月が出るのを待ちながら、それまで飲んだり食べたりして楽しむ納涼イベントだったようだ。本来は月待講(つきまちこう)の一つで、この夜の月光のなかに阿弥陀(あみだ)、観音(かんのん)、勢至(せいし)の三尊の姿が現れ、それを拝めるという信仰である。江戸庶民は信仰を口実に、夜中まで堂々と遊べる夜だったに違いない。
太陽や月は、もともと自然神として人々に受け入れられてきた。さらに、古事記・日本書紀などの神話にはいろいろな神様が現れ、万物の経緯をより興味深くしてくれる。太陽の神として「天照大神(アマテラスオオミカミ)」、月の神として「月読命」が登場する。この二神はイサナキノミコトから生まれた姉弟関係にある。 月読命が穀物・食物の神である「保食神(ウケモチノカミ)」を殺してしまう話があり、それに怒った天照大神は月読命を夜の世界へ追いやった。これを昼と夜の分離の起源としている。以来二人は一緒に顔を出さない。 月読命が月を司ることになったということは暦をつくるという意味で、保食神殺害の因果か、穀物・食物を作る農業の神にもなった。また、月は潮の干潮も影響を与えるため海の神にもなった。 月見のお供え物は、もちろん月に対してだが、月読命に対して豊作を感謝する行為だという考え方もある。