「井戸浚 (いどさら)い」を知っている人はどれだけいるだろう。井戸浚いとは井戸の清掃で、井戸の水をできるだけ汲み出した後に落下物を取り出し、井戸の内側を洗う作業である。井戸の中に入るのは危険な作業でもあることから、井戸浚いの職人も存在した。井戸に生活用水を頼っていたのはそれほど遠い昔の話ではない。いわゆる近代水道の施設が完成して給水が開始されたのは明治32年、それも東京市の一地域においてである。その後、大正昭和とかけて水道施設は拡充され整備されてきた。その一方で掘削技術も向上した結果、井戸も掘られてきたのである。それらの井戸は水道の普及や開発により今ではほとんど見ることはできないが、使っていた頃は年に一回は井戸浚いをしていたはずである。
江戸の井戸はほとんどが共同井戸、その恩恵に預かる関係者が協力して井戸浚いをする。旧暦の7月7日(新暦8月中旬頃)を井戸の大掃除の日と決め、年に一度の夏の行事でもあった。七夕の日には、竹を飾る前に重要な行事を終えなくてはならなかったのだ。
この図会は「井戸浚い」の様子。井戸の蓋をはずし、大きめの桶で中の水を全部汲み出そうとしているところだ。重い水を能率良く汲み出すために滑車も用いた。おおかた汲み出したところで、今度は井戸職人が中に入って落ち葉などの落下物を拾ったり洗ったりする。この井戸浚いは江戸中で一斉に行われた。なぜなら、地下に上水道を引いて給水している井戸なら水源はみなつながっているため、一斉に清掃しなくては意味がないからである。暑い盛りに清潔な水を飲むために、みんながおいしい水を飲むために、その井戸に毎日お世話になっている住民は一致協力して井戸浚いをした。なぜこの日なのか、それは七夕本来の意味が、数日後にやってくる盂蘭盆(うらぼん)に向けての祓(はら)いの儀式でもあったからだ。井戸浚いはたいせつな水を清める儀式とみることができる。現実的には、伝染病を恐れた人々は飲み水には特に注意をはらい、雑菌が繁殖するこの季節を選んだのだろうと思える。
江戸市中の井戸がつながっているというのは、神田上水や玉川上水が地下に引き込まれていたからである。まるで道路を掘り返して水道管やガス管を地中に埋めるような作業を広範囲に施したのである。ただ管は鉄製ではなく木や竹をつなげたものだった。場合によっては石も利用する。地下に張り巡らされたいわゆる水道管の先には、いくつもの大きな桶が設置されていて、そこに水が溜まる仕組みになっている。江戸の人々は、この桶に溜まった水を地上から汲み上げて使ったのである。この井戸を上水井戸(じょうすいいど)といった。見た目は普通の井戸と変わらないが、井戸の底には桶が入っていて、地下水ではなく上水が遠くからそこまで給水されているそんな技術が当時あったというのだから驚くほかない。 |