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コラム江戸

一富士・二鷹・三茄子 …その次もある?

伊能図『伊能日本実測小図 二』(阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国)
地図出典:国立国会図書館貴重書画データベース  肖像画:千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵

2018年は伊能忠敬(1745-1818)没後200年の記念の年に当たり、忠敬に関連する情報が増えてきた。初めて実測による正確な日本地図を作り上げた人物であるにもかかわらず、江戸時代の歴史のなかでは比較的地味な扱いで残念に思う。彼もまた、間違いなく日本の歴史を切り拓いた人物の一人である。

忠敬が残した『大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)』。名前は知っていても、どんな地図なのかイメージしにくいと思うので、少し内容に触れておきたい。
その構成は縮尺違いの「大図(1:36,000)」「中図(1:216,000)」「小図(1:432,000)」と、3種類の日本地図。大きな紙を使っても当然1枚では詳細を描ききれないので、大図は全214枚、中図は全8枚、小図は全3枚で全国をカバーする。日本全体の大図を見るには、214枚をつなぎ合わせる体育館のような広い場所が必要だ。これらはみな「伊能図」と呼ばれているものである。
写真で紹介しているのは「小図」のうち四国、淡路島地域で、測量したのは文化5年(1808)、その正確さには驚くばかりだ。

このような地図をつくるために、忠敬はどうやって全国を測量したのだろうか。大した機械や技術もない江戸時代、レトロといえば実にレトロだが、忠敬が使った代表的な測量機器を紹介しよう。

①は近くの山や島の方位を測るもので、肉眼で標的を確認しその方位を測る器具。②は下部に車が付いている。引いて歩くと、その車の回転が上部にある距離を示す歯車に連動、距離が表示される。③は観測地点の緯度を求めるとき、北極星などの高度を観測するもの。これらは「千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵」で、資料群として国宝に指定されている。

記念館近くに忠敬の旧宅がある。伊能家はこの地域「佐原」(現香取市)の名家、代々名主を務める家柄で、酒造業を営んでいた。忠敬はここに婿養子に入った(生まれは現在の九十九里町)。酒造りといえば富豪のイメージもあるが当時の伊能家は商売が振るわず、傾きかけた伊能家を再興したのが忠敬だった。酒造業、運送業、金融業や米の売買なども手がけ、経営手腕に優れた人物である。同時に、利根川の堤防工事を行うなど地域発展に寄与した名士として今も語り継がれている。また商売を成功させたばかりでなく、暦学などの勉強もこの頃から熱心にしていたという。
普通はこれで、人生を成功裏に終わっていくところだが、彼の場合は違っていた。50歳にして家督を譲り江戸に出るのである。地図づくりを始めたのはその後のことだ。

忠敬が過ごした佐原という場所は、江戸時代、利根川水系の河岸であり、船運の中継地であり商業都市として栄えた場所である。利根川はかつて江戸湾に流れ込んでいたが、幕府が川を付け替え、銚子から太平洋へと方向を変えていた。つまり、東北方面からの物資は、利根川を上り、佐原を経て上流の関宿経由で江戸川を南下し、江戸に運ばれるという流通経路があったのである。
佐原(千葉県香取市)は今、川越(埼玉県川越市)と並んで「小江戸の町」として知られ観光地となっている。それほど江戸のように栄えた町である。江戸時代、こんな歌が流行った。 「お江戸見たけりゃ佐原へござれ 佐原本町江戸まさり」


  • 佐原(手前は利根川につながる小野川)

  • 伊能忠敬旧宅

文 江戸散策家/高橋達郎

ちょっと江戸知識「コラム江戸」

酒造りの様子 (明治期の絵か、右下に「東薫」の酒樽が描かれている)

伊能家から酒造りを学んだ「東薫」。

下総の佐原(さわら)は江戸時代、酒造りの町だった。江戸中期には佐原一村だけで35軒もの酒造家があったという。その酒造り歴史を今に伝える蔵元がある。文政8年(1825)創業の「東薫酒造」だ。
東薫酒造の創業者、卯兵衛(うへえ)は伊能家に弟子入りして酒造りを学んだという。伊能家とは、日本地図を作った伊能忠敬を輩出している佐原を代表した酒造家である。歴史は面白いところでつながっていると思った。

東薫酒造は現在も佐原の銘酒を造り続けている。創業者の名前を冠した純米大吟醸「卯兵衛」、大吟醸「叶」などが知られ、嬉しいことに利き酒ができる(無料、叶は300円)。酒蔵見学も可能で酒造りの行程を見るのは子どもも大人もいい勉強になりそうである。

杉玉

酒蔵の軒先に「杉玉(すぎだま)」が吊るされていた。都心では高級料亭などの店先でよく見かけるものだ。本来は日本酒の造り酒屋が軒先に吊るして“新酒ができました”と周囲に知らせる合図である。杉の葉を芯に球状にぎっしり差し込んだもので、最初は蒼々しているが、時間が経つにつれてだんだん枯れて茶色になっていく。その色の変化は新酒の熟成具合を知らせるものという。
杉玉は別名「酒林(さかばやし)」とも呼ばれ、酒造りの神を称え、酒造家の繁栄を願う意味が込められていることも付け加えておきたい

文 江戸散策家/高橋達郎
取材協力 東薫酒造株式会社

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