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コラム江戸

一富士・二鷹・三茄子 …その次もある?

初夢『春の色』より 寛政7年(1795) 出典:国立国会図書館貴重書画データベース

正月二日の朝、もしくは二日の夜に見る夢を一般的に初夢と呼んでいる。江戸時代の絵図に描かれているように、縁起のよい夢は古くから「一富士・二鷹・三茄子」ということになっている。この後にはまだ続きがあった。「…四扇(おうぎ)・五多波姑(煙草/たばこ)・六座頭(ざとう)」という。
この下りは『増補俚言集覧』(井上頼圀・近藤瓶城編著/明治33年)に載っている。「一説に駿河(するが)国の名物と云う」とある。それ以上の言及はない。扇は開くから縁起も良さそうだが、たばこや座頭(按摩師)に至ってはもう何だか分からない。茄子も唐突である。何でも三河の茄子は早く収穫でき、そのため値段が高かったという。高い富士山に通じるということか…高値=高嶺?
どうやら全部駿河国(静岡県)の話らしく、想像を膨らませてみると、発祥は徳川家康の時代なのかもしれない。天下を取った後、家康は駿府にて二元政治を行った。富士を眺め、鷹狩りを好み、茄子も好きだったのだろうか。この吉夢の諺(俗信)は家康が広めた可能性がある。「四・五・六」は、後に付け加えられたものだろう。

そこで、これらの吉夢についてはいろいろな説(俗説)があるのでまとめてみた。こじつけともいえる説明を楽しもう。
○「一富士」…その高きより転じて昇るということ、達するということ、傑出すること、この上ないという意味。富士=不二=不死。
○「二鷹」…高(たか)に通じ、強いこと、物を掴み取る意味。
○「三茄子」…成す・成るに通ずること、草(かんむり)に子を加えて茄子、子孫繁栄、成功する意味。
○「四扇」…富士と同じく末広がりで運を開く意味。
○「五多波姑」…たばこの煙は上にいくので運気上昇の意味。
○「六座頭」…座頭は剃髪して毛がないので“怪我ない”の意味。
──「一と四」「二と五」「三と六」が対になっているという面白い解釈もある。「富士と扇は両方末広がりで吉」「鷹と多波姑の煙は空に昇り運気上昇」「茄子と座頭は毛が(怪我)ないので健康」。


宝船 『守貞謾稿』より 出典:国立国会図書館貴重書画データベース

良い初夢を見るために人々は工夫をしていた。一種のまじないである。それは「宝船」を描いた絵を枕の下に敷いて寝ることだった。ナンダそんなことと思われるかもしれないが、人々は真剣である。一年で最初に見る初夢は、その年の吉凶を占う上で特に重要であり、現代人が思うような単なる夢ではなかった。そういう精神構造をしているのが江戸の人々である。首尾良く富士や鷹の夢を見ることができれば最高だが、そううまくはいかない。悪い夢を見ることもあるだろう。その場合もちゃんと道が残されている。夢の内容を人には告げず、「宝船」の絵をそっと川に流せばそれで良い。

「宝船」の絵は刷り物で、元日の朝から「宝船売り」が町を売り歩いた。売り子は、正月の遊びである「道中双六(すごろく)」も併せて売った。台詞は“道中双六、おたからー、おたからー”。
枕の下に敷く宝船の風習は江戸時代より古く、中世から行われていたものである。絵の内容は船に乗った七福神。悪夢を食べるといわれる貘(ばく/想像上の動物)が乗っている絵もあり、米俵をはじめとする宝尽くしが描かれる場合もある。

気が利いているのは、宝船に添えられる歌だ。回文(かいぶん)となっていて、上からも下からも読める(上絵図参照)。寝返りを打っても大丈夫ということなのか、なかなかの出来映えである。
『長き夜の 遠(とお)の眠(ねふ)りの みな目覚め 波乗り船の 音のよきかな』
『なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな』

文 江戸散策家/高橋達郎
参考文献 『増補俚言集覧』(明治33年)
『故事俚諺教訓物語』(大正元年)

ちょっと江戸知識「コラム江戸」

『賢愚湊銭湯新話』より 享和2年(1802) 歌川豊国 画
出典:国立国会図書館貴重書画データベース

「初湯」は新年に初めて入る風呂。

初夢、初詣、初荷など、初○○というのは日本独特の文化風習なのだろうか。「初湯」もその一つ、江戸では内風呂も湯屋(銭湯)も正月二日に湯をたてた。湯屋は毎日営業しているが、元日だけは休みである。

絵図は正月二日の湯屋、この日の番台はいつもと違った光景が見られる。番台に座る湯屋の主人の脇には三方(さんぼう)が2台。奥は大きなお供え餅、これは分かる。さて手前の三方に積まれているものは?
現代の感覚では、湯に入った客が帰りにもらう粗品のように思われるが実はその逆。浴客から湯屋への「おひねり」、つまり年玉で、それが山積みとなっているのである。湯屋や湯屋の奉公人へ対する日頃の感謝といったところだろう。浴客は湯銭(入浴料)とは別に、お金を紙に包んで三方の上に置いていくのが習いだ。史料によれば、「…寛永銭三つを白紙にひねりて…」とあり、包んだ金額は一ひねり3文(70〜80円)という。

湯屋もそうであるように、元日は休むことが当たり前だった。それは人間が休むだけでなく道具を休ませることだった。湯屋の場合は湯釜を休ませ火を休ませることである。なぜなら、それらを司る神がいると人々は考えたからである。神様もずっと働きっぱなしというわけにはいかないのだろう。感謝を込めた少しばかりの休息、そしてまた新しい年をお願いするのが元旦だった。
御節料理があるのもこれに似ている。元日は毎日使う竈(かまど)を休ませ、荒神(こうじん/竈の神様)に感謝する日である。

文 江戸散策家/高橋達郎
参考文献 『守貞謾稿』喜多川守貞

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