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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
協力・資料提供/深川江戸資料館
第15回 江戸庶民は、物を使い切るリサイクルの達人。
江戸名所図会

『江戸名所図会』
大傳馬町 木綿店
(荷車には、納入される木綿生地が積まれているものと思われる)

 江戸時代の人はすごいな、と感心してしまうことの一つにリサイクルがある。毎日の生活に欠かせない着物の再利用を例に、驚くべきリサイクルを紹介しよう。

 まず江戸の人は、着物をどこで買っていたのだろうか。新しくあつらえる場合は、「呉服店」や「太物(ふともの)店」で反物を購入する。呉服は絹もの、太物は木綿ものの意味である。既製のものはなく、この反物を自分で仕立てるか、仕立てに出して着ることになる。ちょっとやっかいである。この絵は、太物店(木綿店)の店先の様子、店構えもなかなか立派だ。

 もうお分かりのように、ここまでのお話は、一部のお金持ちの場合である。新調された着物もやがて古くなると、古着の仲買人がやって来て、今度は「古着屋」の店頭に並ぶことになる。この段階からが庶民の登場である。庶民は通常、着物を古着屋で買った。当時、古着は恥ずかしいものでもなく、苦にすることもなかったようだ。

 古着屋は、神田川沿いの柳原土手あたりに軒を連ねてあった。柳原土手は有名な古着屋街で、江戸周辺の人々も買いにやって来たという。その他にも、古着屋街は江戸にはたくさんあった。

右上に続く >

 

 着物の本格的な再利用の旅は、ここから始まる。大人用の着物を古着屋で買ったとすると⇒古くなれば使える部分で子ども用に作り直す⇒次の子どもが生まれたらオシメに⇒オシメがとれたら雑巾に⇒たき付けに⇒灰になったら洗濯に、肥料に……という具合である。もっとも、作り直す際に出る端切れは「端切れ屋」が買ってくれたし、灰も買っていく業者がいた。燃やして灰になってからもまだ使うというのは、究極の再利用である。

 このようなリサイクルが可能だったのは、一個人や家庭の心がけのレベルでなく、江戸の社会の仕組みがそうなっていたからである。

 新しい物がどんどん売れないということは、経済が停滞すると思いがちだが、そうではない。雇用も生まれてくる。壊れた物を修理する職人、不要になった物を買う業者、それを運ぶ人、加工する人、販売する人。そしてまた、それを買う庶民がいた。これが繰り返される。いろいろな仕事や職人を大都市江戸は必要としたのである。江戸に職人が多くいたのもうなずける。

 現代人が、リサイクルとか再利用について考えるとき、江戸時代は数多くのヒントを与えてくれる時代だろう。生活様式がまったく違うから、一概に江戸時代の手法をそのまままもってくることはできないが、学ぶべきところはいっぱいありそうである。

ちょっと江戸知識「コラム江戸」
古い布の切れ端も立派な商品。
古裂掛け(こぎれかけ)
『古裂掛け(こぎれかけ)』天秤棒(てんびんぼう)で担いだ
 洗濯物を干しているわけではない。これは、れっきとした店舗である。いろいろな布を取り揃えてディスプレイし、客を待っているところである。
 この布を「古裂れ(こぎれ)」と呼ぶ。古裂れとは、着物を再利用して仕立て直しをしたときに出る「端切れの布」である。傷んだ着物の使える部分を切り取ったものもあり、主に継ぎあて用に使われた。江戸の再生・再利用の経済は、「古裂れ屋」「端切れ屋」と呼ばれる商売を誕生させた。彼らは「古裂れ掛け」を担いで町を売り歩いた。布がとても貴重であったことが分かる。
 写真に向かって右側に吊してある古裂れに注目してみよう。欄外にも示したように、これは有名な江戸の文様だ。小さなことにこだわらない心意気「構わぬ」を「鎌わぬ」と洒落てデザインしている。継ぎ接ぎ(つぎはぎ)の古着を想像すると、貧乏くさい気もするが、こんなところにも江戸っ子らしさが出ていて面白い。
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