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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
協力・資料提供/深川江戸資料館
第16回 歩行者天国のように賑わう、夏の大通り。
盛夏路上の図

『東都歳事記』
盛夏路上の図(大通りに老若男女、さまざまな商売が描かれている)

 真夏の江戸を想像してみよう。『盛夏路上の図』を眺めていると、いろいろな江戸庶民の姿があって興味深い。
 おそらくこの場所は、日本橋か京橋あたりの大通りだ。大きな道路の歩行者天国のようなノリである。暑い路上で何やら商売をしている者が多い。暑い夏も路上に活気があり、みんな楽しそうだ。
 図の上部では、水菓子屋(当時は果物を水菓子と呼んだ)の出店がスイカを切り売りしている。
 右上には「利根川」と書かれた看板。「鯉」の字も見える。おそらく利根川産の鯉の洗いを酒の肴に出したのだろう。路上に店を開いたビアガーデンといった雰囲気である。
 図の左下には、「天ぷらの屋台」が出ている。真夏にも天ぷらという食べ物は庶民に好まれたようである。暑いから、油っこいものも必要ということだろうか。
 そのすぐ右は、「冷水売り(ひやみずうり)」。天ぷら屋台の横で水を売っているのは、なかなか賢いではないか。これも江戸では一般的な商売で、深い井戸からくみ上げた冷たい水を桶に入れ、天秤棒(てんびんぼう)で担いでやって来た。お好みによって、白玉団子や砂糖を入れることもできる(別料金)。なぜこんな商売があったかといえば、飲み水が貴重だったという事情もあるが、庶民も気軽に飲めるほど安かったからである。私たちが自販機でジュースを買って飲む感覚だろう。しかし冷水の名の通りに、ほんとうに冷たかったとはとても思えないのだが…。

右上に続く >

 

 その右側のふんどし姿の人物に注目しよう。この図の最も面白いのは、実はこのシーンである。彼の身なりでなく、やっていることがとにかくユニークなのだ。これを「水撒き男(みずまきおとこ)」と呼ぶ。底に穴を空けた水桶を担いで歩き回る、つまり道路に打ち水をしているところ。何もボランティアで水を撒いているのではない。通りに大きな店舗を構える大店(おおだな)に依頼されたり、家ごとにその間口に水を撒いて料金を取る立派な商売である。何と非効率な作業であり重労働だろうか。でも、これがやはり江戸なのである。実際、このような大通りは人通りも多く、土ぼこりもすごかった。商品を陳列するお店にもきっと喜ばれたことだろう。
 現代の東京はとにかくムシ暑い。今ほどではないにしろ、江戸の夏も確かに暑かったが、アスファルトもコンクリートもない江戸の町は通りに水を撒くだけで、かなり涼しくなったのではないだろうか。地球温暖化とは無縁の時代、江戸の人々は夏の暑さを楽しんでいるかのようだ。クーラーなどは不要なのだ。

ちょっと江戸知識「コラム江戸」
夏の暮らしの必需品、蚊遣り。
『蚊遣り』
『蚊遣り』素焼きのものを皿に伏せて使う
 夏の蚊に悩まされるのは、今も昔も変わりはない。江戸時代には、まだ蚊取り線香はなく、写真のような「蚊遣り」を使った。どこの長屋にもある、ごく一般的な生活用品である。
 この中に、主に松の葉を入れて炭で燻(いぶ)した。周りの穴からは、松は油を含んでいるからモクモクと煙が出る。臭いも相当なものだ。この煙と臭いで蚊を追い払うという仕組みである。松の葉の他にも、ヨモギの葉や青葉なども燃やしたようだ。
 これらのものを燃やすのは、日本古来の方法である。どれくらい効果があったのだろう。だいたい昔の蚊と現代の蚊がまったく同じなのかという疑問もある。
 ちなみに、現代の蚊取り線香の原料は除虫菊(原産地は地中海周辺)である。明治20年頃、海外から除虫菊の種子を入手した上山英一郎(大日本除虫菊の創業者)が蚊取り線香を発明、やがて渦巻き型が考案された。
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