200年も300年も前の話だから、職業も現代にないものがたくさんある。モノを修理、修繕する専門の職業が実にバラエティーに富んでいて面白い。
メンテナンスは本来、販売業者や製造業者が責任をもってやるはずなのだが、長屋の住民などは行商人から物を買うことが多いため、修理するときも行商である修理屋に依頼することが多かった。
『鏡研ぎ』は、曇った鏡をぴかぴかに磨いて町を回った。現在の鏡は、ガラスに銀メッキしてさらに加工が施され保護されていて長期間の使用に耐えられるが、当時の鏡は青銅の上に水銀をメッキしたに過ぎず、しばらくするとすぐ曇ってしまった。鏡研ぎは、表面を砥石で研ぎ直し、水銀、みょうばん、ざくろや梅の酸などを塗って磨きあげた。簡易的な水銀メッキをしたのである。
穴の開いた鍋や釜をその場で修理する『鋳掛屋(いかけや)』は、七輪やふいごなどの道具を持参してやって来た。
『焼継屋(やきつぎや)』というのもある。割れた茶碗や瀬戸物類を接着して再生する。うるしで接着したり、白玉粉と呼ばれるもので接着し加熱して焼き直した。ほんとうにこんなことで大丈夫かと、疑いたくもなるが、とりあえず使える状態にはなったということだろう。
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これはなかなか便利だと思えるのは『朴歯屋(ほうばや)』だ。すり減った下駄の歯を入れ替えてくれる。鼻緒のすげ替えもしてくれる。ついでに新しい下駄も売っていた。
生活用品を再生してくれる職人はまだまだいる。『提灯の張り替え屋』や『傘の張り替え屋』は、張り替えはもちろん屋号を書き込んでもくれる。煙管(きせる)の竹の部分を取り替える『羅宇屋(らおや)』はご存じの方も多いことだろう。『眼鏡屋』や『算盤(そろばん)直し』は、修理や調整もするし、販売も兼ねていた。
いろいろなものを買い取っていく商売も多く存在した。『紙屑買い』の集めた紙は、すき直して浅草紙として再生された。粗悪な再生紙は落とし紙(トイレットペーパー)に使われた。驚くなかれ、江戸時代に紙のリサイクルはもう定着していたのである。
ユニークなのは、『献残屋(けんざんや)』。贈答品を扱う業者で、するめや昆布などを買い上げ、また販売したという。早い話が、日持ちのする贈答品のつかい回しだ。参勤交代の際には、全国から土産物が江戸に集まった。将軍に献上したり、武家同士で贈答しあう習慣もあった。献残屋は、リサイクルショップそのものである。
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