木炭は、古来より重要な燃料だった。江戸時代も例外ではない。現代の私たちの日常は、キッチンに立てばガスコンロもあれば、IHクッキングヒーターなども最近は登場して燃料の有り難みを忘れてしまいそうである。
江戸時代には、木炭の生産地はすでに全国に広がっていた。江戸で消費する炭の生産は、八王子や国分寺が知られている。八王子は織物の生産地としても有名だが、それ以前から木炭の産地だった。
木炭はもともと燃料というよりは、戦略物資としての側面をもつものである。単なる燃料なら薪でもこと足りる。
いくら江戸時代が平和な時代だといっても、それ以前は関ヶ原の戦い(1600)のように、まさに戦(いくさ)の連続である。この戦に不可欠だったのが木炭だった。つまり武器製造のための木炭である。
どの時代の武将も、刀をつくるための原料となる「鉄」、職人の「刀鍛冶」、鍛冶に用いる「木炭」を掌握することが急務だった。こんな視点から歴史を眺めるのも面白い。源頼朝が鎌倉という地に幕府を開けたのも、鎌倉が砂鉄の産地であったこと、木炭を対岸の房総から輸送できる条件が揃っていたからである。
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江戸には八王子をはじめ周辺諸国から木炭が入ってきたが、幕府は直轄地である天領の伊豆国天城山林を木炭生産の拠点とした。「伊豆の天城炭」、「天城御用炭」と呼ばれる木炭だ。江戸城では年間10万俵以上の木炭が使用されたという。炊事や風呂、暖房のための火鉢や茶の湯などに使われた。天城炭は江戸城で独占していたわけではなく、武士や町民も買うことができた。人口が増える江戸では木炭の需要も高まり、江戸市民の生活のために流通も必要だった。家の中で使用する燃料として、煙や炎が少ない木炭は都合がよかった。幕府は木炭の価格を統制しながら、増産を奨励している。
炭といえば、やはり「備長炭」だろう。備長炭は江戸時代に完成された最高級の木炭である。元禄12年(1699)紀州の「備中屋長右衛門」が、ウバメガシを炭材として独特の製炭法を考案したというのが定説になっている。はからずもこの地は、徳川御三家のうちの一つ、紀伊家の領地であったことは偶然だろうか。
備長炭はウナギの蒲焼きがお馴染みだが、さまざまな活用法があることはここに例を挙げるまでもない。火持ちの良さ、火力の強さ、そして美しさ。とにかく備長炭は、世界中どこを探してもこれほどの木炭はない。現在でも世界に自慢できる木炭の最高傑作であり、江戸時代が生んだ、一級の芸術品であることに間違いないと思う。
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