花は桜…と古来よりわが国では、決まっているような感があるが、江戸時代に忘れてはいけない花がある。それは蓮(はす)である。春には、江戸市民はこぞって桜の花見に出かけたが、夏には蓮の花を見る蓮見(はすみ/はちすみ)を楽しんだ。蓮見の場所は、上野の不忍池(しのばずのいけ)である。
蓮見の図会は、不忍池のほとりの料理茶屋の様子か。池には蓮の間に亀や鯉、小舟で蓮を採る人も描かれている。このような料理茶屋での蓮見はかなり裕福な町人と思われる。広い座敷でのんびりくつろいでいる。手前ではきちんと髪を結った女性、子どもも遊んでいる。こんな立派な場所でなくても、蓮は池の周りからいくらでもタダで見ることができた。当時、上野は浅草と肩を並べる庶民の行楽地であり、大レジャーランドだった。寛永寺があり、不忍池があり、広小路では出店や見世物もある。お参りの後で立ち寄る人も多い。それに近隣の人たちは、夕涼みにも来るし散歩もする。春の花見、夏の蓮見も加わり、多くの人が江戸中から集まり旅人もやってきた場所である。だから、客目当ての商売も盛んで、茶屋やさまざまな店、料理茶屋や出合茶屋(であいぢゃや)が数多くあった。
出合茶屋とは人目を忍ぶ男女密会の場、今のラブホテルに相当する。寛永寺代参(将軍の代わりにお参りをすること)の大奧女中や武家の未亡人などが利用したとされている。もちろん、一般庶民も利用していた。風紀が乱れるということから取り払われもしたが、こういう出合茶屋がやはり残ったのは想像に難くない。
料理茶屋で出す料理は「蓮飯(はすめし)」である。蓮がまだ大きくならないうちの若葉を細かく刻んで米と一緒に炊いたものだ。それを蓮の葉をお皿にして盛りつけたものである。これはひょっとして、かなり健康的で粋な料理かもしれない。江戸っ子には人気があったようだが、はたしてどんな味がするのだろうか。蓮根はよく食べる筆者も、まだ食べたことは一度もない。
蓮は、古くから日本人に受け入れられてきた植物である。縁起がよくありがたい花とされてきた。泥の中から成長した蓮でも、葉上に受けた水滴をいつまでも清く保つという意味からだ。仏教とも関わりが深く、仏像が座っているのは蓮の葉(蓮華座)である。南無行法蓮華経…にも蓮の文字が見える。蓮の花を家紋とした例も多い。
不忍池の蓮は7月から8月が見頃、花を見るなら午前中早めに。都内では他に、町田市の「薬師池公園」がおすすめ。休日には、蓮が生えている沼地でザリガニを取る子どもや、家族連れで賑わう。
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