歳(年)の市は酉(とり)の市と混同しがちだ。発音も似ているし、時期も酉の市は11月、歳の市が12月と近い。市の由来は明らかに違うのだが、縁起物や正月用品を売るという点では、内容はさほど違わないような気がする。いずれも正月支度のためのバザーのような性格の市だ。歳の市は、その年の最後の市「納めの市」ともいわれる。成立は万治年間(1658~1661)ころの浅草とされている。
歳の市は江戸各地で開かれたが、もっとも有名で人を集めたのは浅草観音の歳の市だった。その盛況ぶりはこの図会の通り。ごちゃごちゃ描かれている部分は全部人、人、人である。こんな光景が本当にあったのだろうかとも思えるが、きっと作者は群衆が押し寄せ、活気に満ちた歳の市を表現したかったのだろう。細部を見ると、いろいろな物が売られていることが分かる。「大安売り」ののぼりは今に通じる。細かくて見づらいかもしれないが、店の看板に「正月屋」「えびす屋」「大黒屋」「宝来屋」「福徳屋」など…縁起のよい屋号の店が並ぶ。「万歳屋」などはなかなか思い切った店名だ。
歳の市で売られている物は、しめ飾りや神棚、羽子板や凧などの正月用品だけでなく、海老や鯛、昆布、餅などの食品、まな板や柄杓、桶などの台所用品。さらに衣料や植木まで幅が広く、生活雑貨全般に及んだ。
図右下には桶が積まれている。これは若水(わかみず)をくむための桶を売っているところ。若水とは元日の朝にその年初めてくむ水をいう。若水を神前に供えるのは武家や商家ではどこでもやる儀式である。神聖な若水をくむための桶は当然神聖な桶でなくてはならない。したがって毎年新調することになる。その縁起のいい桶を一年大事に使い、また来年の歳の市で買う慣わしである。
まな板などの台所用品をなぜこの時季に人々は買い求めたのか。出費の多い師走に、わざわざ買わなくてもよさそうなものだが…。現代なら、壊れたとか古くなったとか、新製品が出たとか、そんなときにこういう日用品は買うはずである。江戸の人々は違っていた。そこには日本人特有の精神構造があったのだろう。新年を迎えるに当たって、そうとう気合いが入っているのである。食べる(食べられる)ことへの感謝の気持ちか、新年へ向けての祈りか、美意識か、若水をくむ桶に通じる気構えのようなものを感じるのである。
江戸の主な歳の市は、12月14・15日の深川八幡境内、17・18日の浅草観音境内、20・21日の神田明神境内、22・23日の芝神明境内、24日の芝愛宕神社下、26日の麹町平川天神境内、そして25日~30日の日本橋四日市へと続く。日本橋の歳の市は「納めの歳の市」と呼ばれ、まさに一年のしめくくりの歳の市だった。 |