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文 江戸散策家/高橋達郎
コラム江戸
第56回 子子子子子子子子子子子子 …何と読む?
『寛政4年壬子(1792) 大小暦』勝川春朗(葛飾北斎) (子の文字の大小に注目) 出典:国立国会図書館貴重書画データベース

『寛政4年壬子(1792) 大小暦』勝川春朗(葛飾北斎) (子の文字の大小に注目)
出典:国立国会図書館貴重書画データベース

平成20年(2008)の干支(えと)に因んだクイズ。「子」の字を12個使った文章になっている。正解は、ネコノコノコネコシシノコノコジシ(猫の子の子猫、獅子の子の子獅子)と読む。なお、「ノ」の文字は読みだけで表記はされていない。
  この文字の羅列を書いた紙は、現在のカレンダーに相当するものである。これは「大小暦(だいしょうれき)」、あるいは単に「だいしよう」と呼ばれている絵暦の一種で、旧暦を使用していた江戸時代では一般によく使われたものだ。

もう一度、上の絵のなかの「子」の文字の大きさに注目してほしい。
子子子子子」と大小に書き分けられている。つまりこの年は、「小大大小大大小大小大小大」と配列された年(1月が29日、2月が30日、…)であることを示している。参考:寛政4年は実際には閏2月小があるが、この文字からは判明しない。
ではなぜこのように、それぞれの月の大小をはっきりさせなくてはならなかったのか、──それは旧暦の世界では、毎年毎年その月の大小がまちまちであることによる。つまり、今年の1月が30日ある月であっても、来年は29日になることもあり一定しないのである。さらにそれが毎月毎月のことだから、一年を通して大小がバラバラに組み合わされていく。旧暦では大の月を30日間、小の月を29日間としたのに対し、現在の新暦は大の月を31日間、小の月を30日(あるいは28日間、29日間)としている。旧暦は月の運行(月の周期は約29.5日)を第一の基準にしているため29日間の月と30日間の月を組み合わせている。したがって江戸時代には31日ある月は存在しなかった。
新暦を使う現在では、まったくこのような大小暦は意味をなさなくなり大小暦は消滅した。小の月を「ニシムクサムライ」、「西向く侍(士)」と覚えるだけて一生変わることはない。新暦では、1月は31日(大の月)、2月は28日か29日(小の月)、3月は31日(大の月)、4月は30日(小の月)…というように、ずっと不変である。
江戸時代(旧暦)の人々が、その月が30日ある月(大の月)か、29日ある月(小の月)かが第一の関心事だったのは無理もない。商売などで晦日(みそか)精算をする際は、お金を払う側も受け取る側も月末が気になるのは当たり前である。そこで毎年、年末には翌年に向けて様々な大小暦がつくられるようになったのである。

大小暦は、機知に富んだ表現、遊び心あふれる作品が数多く残されている。歌に詠み込んだもの、絵解きしたもの、なるほどとうならせる凝りに凝ったものもある。実用も兼ねた高尚な遊びだったのだ。鈴木春信や北斎も大小暦を残している。お金持ちは著名な絵師に描かせ、年末年始の贈答品にしたり、持ち寄って品評会も開いたという。大小暦は旧暦ならではの文化であり、芸術だったのだ。

『文久4年甲子・元治元年(1864) 大小暦』
出典:国立国会図書館貴重書画データベース
ちょっと江戸知識 コラム江戸
『文久4年甲子・元治元年(1864) 大小暦』
出典:国立国会図書館貴重書画データベース
左義長や庭の霜八九七五三かざり

標題の狂歌を頼りに、元治元甲子年(1864)の大小暦(だいしょうれき)を読み解いてみよう。この年の大小の月を絵のなかから見つけ出すのが問題。ヒントは、狂歌の右に書かれた「大の月」と凧の左の「甲子小月」。
左義長とは1月14日または15日の夜、正月の門松や注連(しめ)飾り、書き初めの半紙などを集めて燃やす火祭りをいう。一般的には、どんど焼き(どんどん焼き)と呼ばれる厄除けの行事。歌の意味は「左義長で燃やす注連飾りを箒(ほうき)がわりにして庭に降りた霜を掃(は)いたよ」といったところ。「霜」は霜月の11月を、「八九」は掃くを示唆している。「七五三」は月がそのままズバリだ。なお、注連飾りは七五三飾りとも書く(しめなわも、注連縄と七五三縄の二通りの漢字がある)。したがって、大の月は、11月、8月、9月、7月、5月、3月ということになる(月の順序は違うが)。一方、小の月は凧に書かれた文字に隠されている。「龍」の字に似ているがよく見ると、右上から下へ「十二」「三」「正」、左上から「六」「十」「四」の文字であることが分かる(正=一月)。
人々は、このような工夫を凝らした大小暦を毎年楽しんでいたのだ。江戸の絵師もなかなかやってくれる。

文 江戸散策家/高橋達郎
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