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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
古地図資料提供/株式会社人文社
コラム江戸
第60回 江戸の三大剣士とは? 三大道場とは?
『江戸切絵図』日本橋北内神田両国浜町明細絵図(1859年)部分

『江戸切絵図』日本橋北内神田両国浜町明細絵図(1859年)部分(千葉周作は地図に名前が記載されるほど有名だった)
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どこかのクイズに出てきそうな問題である。誰でも何となく一人二人の剣士の名前が思い浮かぶだろうが、漠然としているものだ。答えは後にして、江戸時代は武家社会であったために、武道は特に重んじられていた。文武両道も叫ばれていた。
老中松平定信の寛政の改革時には、「世の中に蚊(か)ほどうるさきものはなしぶんぶ(文武)というて夜も寝られず」と狂歌に詠まれるほど文武は奨励され、武家以外の階層にも影響を与えるようになる。町民も武士のシンボルである鎧兜(よろいかぶと)や刀剣を、男子壮健を願うものとして端午の節句に飾るようになった。これが現代に続いているのである。

さて、最初の三大剣士だが、「千葉周作(ちばしゅうさく)」「斎藤弥九郎(さいとうやくろう)」「桃井春蔵(もものいしゅんぞう)」の三人である。あれれ?宮本武蔵や佐々木小次郎、それに柳生十兵衛はどうなっちゃったの?という疑問が当然湧いてくる。それは、江戸の三大剣士(あるいは剣豪)という場合、一般的には幕末の三大剣士を指していうからである。武蔵や小次郎、柳生の一族が活躍した時代は江戸時代が始まったばかりの頃で、約200年の隔たりがある。幕末に興隆を極めた三大剣士(流派)、道場名、場所は次の通り…道場の跡地には石碑や案内板があり、見ることができる。
●千葉周作(北辰一刀流/ほくしんいっとうりゅう)、玄武館(げんぶかん)、神田お玉ヶ池…現在の千代田区神田東松下町
●斎藤弥九郎(神道無念流/しんとうむねんりゅう)、練兵館(れんぺいかん)、麹町三番町通…現在の千代田区九段北(靖国神社境内)
●桃井春蔵(鏡新明智流/きょうしんめいちりゅう)、士学館(しがくかん)、京橋蜊(あさり)河岸…現在の中央区京橋 京橋公園辺り
なかでも千葉周作は知られている。漫画の「赤銅鈴之助」が北辰一刀流だったためか、この流派も有名である。剣術家としての名前もそうだが、何々流という名称もまたいかにも強そうだ。この三剣士は後に「技は千葉、力は斎藤、位は桃井」と称されたように、数多くある道場や剣術流儀のなかでも人気が高く、全国から門下生が集まり、実際多くの人材を輩出した。

なぜ幕末に武術がもてはやされ道場が繁盛し、武士が一生懸命になったのか。それは幕府が文武を奨励しただけでなく、文政8年(1825)外国船打払令が出たように、いよいよ外国からの脅威が高まってきたからである。戦う武士が急浮上したのだ。それまでは平和な時代、武士が脚光を浴びた時期は江戸時代の創生期と幕末である。あとは中期の元禄15年(1702)の赤穂浪士の吉良邸討ち入りがあげられる。このとき浪士らは喝采を博したが、戦争ではないのでちょっと性格が違う。皮肉にもそのくらい江戸時代は武士の活躍する場のない平和な時代が続いていた。やがて道場で学んだ門下生は、だんだん幕末の動乱期にのみこまれていくことになる。

 
「右文」は瑤池塾(ようちじゅく)を「尚武」は玄武館を意味する<br>
(千代田区神田東松下町)
ちょっと江戸知識 コラム江戸
「右文」は瑤池塾(ようちじゅく)を「尚武」は
玄武館を意味する
(千代田区神田東松下町)
玄武館跡に建つ、右文尚武の碑。

右文尚武とは、学問を重んじ、武事を尊ぶという意味。文武両道といってもいい。千葉周作の玄武館は俗に門弟3,000人といわれるほどの大きな道場だった。まるで現在の大学のようである。どうしてこんなに人が集まったのか不思議なくらいだ。そこにはやはり千葉の道場経営手腕があった。剣術習得まで8段階あった昇進過程を3段階に簡略化して期間も短縮、他流で3年間かかるところを1年間で修了することを目指したのである。これは大改革で、費用(学費)面で門下生に支持された。そういえば現在も様々の芸道で、段位が上がる度に師匠に多額のお金や贈答品を納める風習があると聞く。こういう悪習を千葉は嫌ったのだ。
北辰一刀流は剣術の神秘性を排除し、合理的精神のもとにひたすら技術を追求した。また、学問の必要性も説いている。幸いなことに、玄武館に隣接して高名な東條一堂(とうじょういちどう)の「瑤池塾(ようちじゅく)」があり、ここで漢学を学ぶことを推奨した。玄武館の敷地内には寄宿舎を建て、地方出身者を受け入れもした。門下生は玄武館で剣術を、瑤池塾で学問を学べた。学ぶ側にとっても確かに合理的だ。玄武館は幕末の志士たち、坂本龍馬(千葉の弟の門下)や後の新撰組隊士を輩出した。

文 江戸散策家/高橋達郎
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