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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
コラム江戸
第61回 馬に跨った太田道灌、日暮里に駆ける。
太田道灌騎馬像 JR日暮里駅前(平成7年建立/東京荒川ライオンズクラブ寄贈)

太田道灌騎馬像 JR日暮里駅前(平成7年建立/東京荒川ライオンズクラブ寄贈)

太田道灌(1432-1486)は室町時代の武将、550年前の長禄元年(1457)に江戸城を築城したことで知られる。それがなぜか江戸時代を経て今でも人々の心をとらえている。その証拠に道灌像は、JR有楽町駅前の東京国際フォーラム、埼玉県の川越市役所・岩槻市役所・龍穏寺(入間郡越生町)、神奈川県の伊勢原市役所などにもあり、関東一円にはその他にもまだ何体もの銅像が建っている。道灌は文武両道に秀でた名将であり、江戸城ばかりか江戸文化の礎を築いた人物として、彼の物語とともに後世に継承されることになった。

日暮里 (現在のJR日暮里駅、JR西日暮里駅)の周辺は、道灌ゆかりの地だ。今も「道灌山通り」という名前で残っていて、「道灌山下」という信号もあることからも想像がつく。駅前の銅像は鷹狩りの勇姿で、道灌がこの辺でよく鷹狩りをしたことに由来する。
今この日暮里駅周辺が大変貌を遂げている。平成20年3月に新交通システム「日暮里・舎人(とねり)ライナー」が開通し、荒川区の日暮里から西日暮里を経て足立区の舎人地区が結ばれた。この沿線は、江戸時代には職人が住んでいた地域。今もその伝統を守っている職人も多い。日暮里・舎人ライナーの起点となった日暮里駅は、山手線・京浜東北線・常磐線・京成線が乗り入れていて、さらに便利なターミナル駅となった。駅前の再開発も進み「ステーションガーデンタワー」と「ステーションポートタワー」の高層ビルが建つ。現在建設中の「ステーションプラザタワー(2009年10月完成予定)」もある。どちらかというと地味な下町のイメージだった日暮里が、活気にあふれるおしゃれな街に変わっていきそうだ。

…などと考えながら再開発の進む日暮里駅東口とは反対側の西口方面へ降りると状況は一変、別世界。こちら側(山手線の内側)は江戸が色濃く残っている地域だ。線路をはさんでこれほど雰囲気の違う場所は東京にもそうはないだろう。西日暮里駅を目指して歩くと、江戸時代から続く著名な寺社が数多い。まず“月見寺”として知られた「本行寺(ほんぎょうじ)」、開基は道灌の孫の太田資高(すけたか)。“雪見寺”と呼ばれるのは「浄光寺(じょうこうじ)」。近くに「富士見坂」があり、都内で唯一富士見ができる富士見坂として知られている。天候に恵まれれば、今でも半分くらいの富士山が見える。「修性院」や「青雲寺」は“花見寺”と称された。この辺は小高い大地で諏訪の台(諏方神社が一番高い場所にある)と呼ばれ、見晴らしがよく、江戸時代には景勝地として人気があった場所だ。庶民も武士も、家族やお供を連れて出かけ、四季それぞれの趣を楽しめる場所が日暮里だったのである。

日暮里の地名は「新堀村」からきている。ただし日暮里は“ひぐらしのさと”と読んだのだろう。江戸時代の古地図には日暮里も新堀村も表記がある。日暮里は“あまりにも心地良い所で日が暮れるのを忘れてしまうほど一日を楽しむことができる里”という意味だ。

 
『江戸名所図会』 山吹の里
ちょっと江戸知識 コラム江戸
『江戸名所図会』 山吹の里
「山吹の里」伝説と、道灌の人柄。

道灌にかかわる物語としてもっとも有名なのがこの伝説。ある日、道灌が山吹の里で鷹狩りをしたときのことである。急に雨が降り出したので近くの農家を訪ね、雨具の蓑(みの)を借りたいと頼んだという。ところが、出てきた娘は雨の中に跪(ひざまず)き、黙って山吹の花を差し出すばかりで埒(らち)があかない。結局道灌は蓑を借りることができずに雨に濡れ、怒って帰ったのだった。
屋敷に戻って家来にこのことを話したところ、山吹の意味は次のような古歌にあると諭される。“七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき”
─これは『後拾遺集』にある有名な和歌で、八重山吹の花は咲いても実をつけない花であり、「実の」が「蓑」にかかっていることを知らされる。立ち寄った農家は蓑がないほど貧しく、娘は機転のきいた断り方をしたことに気付いた道灌は、自分の無知を深く恥じたという。以来和歌を勉強し、後には宮中で天皇と和歌のやりとりするレベルに達している。道灌は家臣を大切にする連戦連勝の武将であり、人に配慮する教養ある知識人でもあった。
この伝説が創作であるとしても山吹の里はどこだろう。諸説あるが、『江戸名所図会』では「…高田の馬場より北の方 民家の辺をいふ…」とある。現在の西早稲田3丁目辺りか? 面影橋には山吹の里の碑と案内板がある。

文 江戸散策家/高橋達郎
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