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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
コラム江戸
第62回 放生会は、生き物を放してやる行事。
『名所江戸百景 深川万年橋』広重 (隅田川の向こうに屋敷町、遠景に富士山) 出典:国立国会図書館貴重書画データベース
『名所江戸百景 深川万年橋』広重 (隅田川の向こうに屋敷町、遠景に富士山)
出典:国立国会図書館貴重書画データベース

この亀は、いったいどうしたのだろう。何と大胆な構図の浮世絵だろうか。『東海道五十三次』で知られる広重、『名所江戸百景』のシリーズではこのように意表をつく作品をいくつか残していて楽しい。空に泳ぐ鯉幟(のぼり)を画面いっぱいに描いた「水道橋駿河台」、馬の尻を後方から見事にとらえた「四ッ谷内藤新宿」なども、あっと言わせる作品となっている。

亀がひもで吊されているが、これは亀を売っているシーンである。橋の欄干に置かれた手桶の柄の部分にどうやら吊り下げられているようだ。人々はこの亀を買い求めた。それもいい大人が亀を買うのである。買ってペットにするわけでもなく、もちろん食べるというわけでもない。ひもに吊したまま橋の下の川辺まで行って、ひもを解いて逃がしてやるのである。この行為を「放生会」と呼んだ。
本来は仏教的な儀式で、仏教伝来の頃に日本に伝わったというから話は古い。不殺生の精神から、万物の生命を慈しみあらゆる生き物の霊を慰めて感謝の気持ちを捧げる行為が放生会である。
江戸の庶民にとっては、儀式というほど堅苦しいものでもなく、一般的な信仰、行事として民間に自然に溶け込んでいたようである。捕らえられている生き物を逃がしてやると、何かいいことをした気分にもなり、人間として功徳を積むことになり、その結果、商売繁盛・家内安全にもつながっていくということで、ちょっとしたお楽しみのイベントでもあった。放生(ほうじょう)するのは亀だけではなく、鰻(うなぎ)や鳥・鳩なども放生する代表的な生き物である。
江戸暮らしの人がみなこのような生き物を飼っているはずもない。人々は現実的なこともちゃんと心得ていて、鰻といっても生まれたばかりの稚魚、鳥は雀で代用した。それぞれ放し亀、放し鰻、放し鳥という。放生会が近づくと寺社の境内や川の近くで売り露店が出たり、町中を売り歩く行商人もいた。寺社と書いたように放生会は、江戸時代は神仏習合の時代であったため、仏教だけではなく神道の行事(主に八幡神社)でもあった。
放生会は正式には収穫祭を含めた旧暦8月15日だが、現在の放生会はまちまちである。都内の放生寺(新宿区西早稲田2-1-14)では、体育の日(10月の第2月曜日)に境内の池に魚を放している。放生会として全国的に有名なのは、大分の宇佐八幡宮(中秋祭、10月)、福岡の筥崎八幡宮(ほうじょうやと呼ぶ、9月)京都の石清水八幡宮(放生大会〈ほうじょうだいえ〉、10月)などがある。

この浮世絵は放生会の放し亀(ニホンイシガメ)を描いたものだ。よく見れば縁起の良いものがいくつも表現されていて、広重の洒落心が伝わってくる。「鶴は千年亀は万年」の亀、この橋は「万年橋」、富士山もしっかり収まっている。「万年橋」は隅田川から小名木川に入った最初の橋だ。近くには「永代橋」という橋もあり、こちらも縁起をかついだ橋名で「万年橋」に対抗しているかのようである。

 
『江戸名所図会』姿見橋(部分) (橋と川は、現在の面影橋と神田川)
ちょっと江戸知識 コラム江戸
『江戸名所図会』姿見橋(部分)
(橋と川は、現在の面影橋と神田川)
亀売り男は、なかなかの商売人。

亀は昔から長寿で縁起のよい生き物として考えられてきたが、鶴のように気高いイメージはなく、むしろ庶民的でさえある。江戸郊外に行けば、川や池などで容易に捕まえることができたと思う。子どもの遊び相手、ペットでもあった。この図会は道端で放生会(ほうじょうえ)のための放生亀(放し亀)を売っている風景だ。『江戸名所図会』には他にも、子どもがまるで犬の散歩のように、亀をひもで連れ歩いている風景を描いたものもある。
この放生会のシーンでは、子どもが吊された亀を指さして何やら話しているようだ。子どもたちはこの亀を買った後、はたして川に放してやれるのだろうか、ちょっと心配である。値段は一匹が四文(100円)位、せっかく買ったのに逃がすなんて、と考える子どももいそうだ。煙管(きせる)をふかしている男は、放生会の素晴らしさを説いているに違いない。何とか売ろうと、浦島太郎の昔話をセールストークとして使っているのかもしれない。しばらく亀と遊んでから川に放してやるのなら、それはそれで子どもにとって楽しい放生会となったことだろう。
放生亀は、大人も子どもも気軽に買って気軽に放してやるものだ。しかし、亀を売っている男は放生した人が遠くへ行くまでは見届けなければならない。なぜなら、男は即またその亀をちゃっかり捕りに行くからである。亀は川と売り場を往復することになる。詐欺のような商売だが、人々はそれも知っていたようである。

文 江戸散策家/高橋達郎
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