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江戸散策
文 江戸散策家/高橋達郎
コラム江戸
第69回 日本橋魚河岸は、築地市場の前身。
『江戸名所図会』日本橋魚市 (大正12年の関東大震災まで日本橋室町一帯に魚河岸があった)
『江戸名所図会』日本橋魚市 (大正12年の関東大震災まで日本橋室町一帯に魚河岸があった)

魚は日本人の食生活に深くかかわってきた。魚自体はさほど進化しているとは思えないので、大昔の人が食べていたものと同じものを我々は食べていることになりそうだ。好まれる食べ方は時代によって違ったり、基本的には鯵(あじ)なら鯵、鮭(さけ)なら鮭で、まったく同一のもの食べ続けてきたという点で、めずらしい食材、また貴重な食料といえる。

江戸に幕府が開設されて以来人口は急増し、将軍吉宗の時代には百万都市となっていたようである。その需要を満たすために魚の流通システムがだんだん整備され、魚市場が出来上がっていった。いわゆる魚河岸である。代表的なのが日本橋、この図会には日本橋の魚市場の活況の様子がこと細かく描かれている。
威勢のいい掛け声が聞こえてきそうな図会をよく見てみると、魚の種類の多さとその大きさに驚く。どうしてこんなに大きいのか、絵だから多少の誇張はあるにせよ、出典先である『江戸名所図会』は、当時をもっとも忠実に描いたものとして定評ある書物であることを考えてみると、やはり今より魚は全般に大きかったのではないかと思う。当時の江戸前の海(江戸湾)は現在の東京湾よりずっと広く、環境もよく魚の宝庫だった。自然の生け簀状態で、遠くの海まで行かなくても大きな魚がたくさん捕れたのではないか。
図会の説明には『遠近の浦々より海陸のけぢめもなく、鱗魚(りんぎょ)をここに運送して、日夜に市を立ててはなはだ賑わへり』とある。塩干ものなら陸路でもいいだろうが、鮮魚はそうはいかない。冷凍設備はないし、氷もないから夏場はたいへんである。  ではどのようにして運んできたか。ひたすら時間短縮のために人力で船を漕(こ)いで運んだ。この船を「押送船(おしおくりぶね)」という。漁荷専用の船で、左右に四本ずつの櫓(ろ)があり、八人で一斉に漕ぐ、いわゆる八丁櫓の高速船である。今でいえばレガッタのような雰囲気だ。
日本橋川を上ってきた押送船は日本橋河岸に横付けされ、平田船(ひらたぶね/図会の左上から2・3番目の船)上で仕分けの後、すぐ問屋の店先に並ぶ。問屋が荷受けをして全体を仕切るが、実際の販売は中間業者である仲買人が担当した。この魚市から一心太助のような棒手振の魚売りが早朝に魚を仕入れ、江戸の町を売り歩く。料理屋の仕入れもこの魚市である。江戸城で消費する魚は、魚納屋役所(うおなややくしょ)の役人が買い付けに来た。この場合は役人の一言で、魚も値段もすべてがキマリ。値段は市価の十分の一程度であったという。なぜかといえば魚河岸成立の前提として、魚は将軍に献上する性格のものだったからだ。その魚を積んだ荷車は、先頭に「御用肴(さかな)」の札を掲げて江戸城に突っ走った。

「一日に千両の落ち所」といわれるように、江戸には一日千両ものお金が動く場所が三カ所あった。魚河岸、芝居町、吉原である。「日に千両、鼻の上下にヘソの下」ともいう。鼻の上の目は芝居を見ること、鼻の下の口は魚河岸の意味だ。

 
『十二月の内 卯月初時鳥』豊国 安政元年(1854)出版
ちょっと江戸知識 コラム江戸
『十二月の内 卯月初時鳥』豊国 安政元年(1854)出版
出典:国立国会図書館貴重書画データベース
江戸っ子の意地の張り合い初鰹。

初物の代表格は何といっても江戸では鰹である。人々の初鰹への熱狂ぶりはいろいろな話で伝えられている。歌舞伎役者が一本三十両(二、三十万円)で買ったとか、押送船(魚の運搬船)が魚河岸に入る前に、品川沖辺りで待ち伏せ、船に一両投げ込み一本横流ししてもらったとか、まさに初鰹は奪い合いの状況であったようである。初鰹は江戸の初夏の風物詩、どの段階までを初鰹と呼ぶべきかは別として、相模(鎌倉や小田原)でその年初めて揚がり江戸に運ばれた鰹を指す。順序としては、魚河岸を経てまずは将軍家への献上用が確保され、残りは高級料理屋などがお金にものをいわせて買い取ったようだ。
しばらくすれば値段は日に日に下がって気軽に食べられるのに、無理して初物に大枚をはたくのはばかばかしいとも思えるが、それを良しとし称賛するのが江戸の気風だった。人より一日でも早く鰹を食べることが何よりの自慢だった。江戸っ子の「粋」はたいへんである。
鰹に人気があったのは、鯛と同じく縁起の良い魚であることが背景にある。鰹は「勝男」に通じ、鰹節も「勝男武士」というわけで、武家社会にはもともと根付いていた。戦国時代の出陣の際、武将に鰹が縁起物として贈られることもあった。江戸時代の刺身には、生姜酢(しょうがず)や芥子酢(からしず)などの酢を使った。当時はまだ醤油が一般に普及していなかったためである。

文 江戸散策家/高橋達郎
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