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コラム江戸

第95回 毎日の食卓に、味噌は欠かせない。

幼童諸芸教草『膳(部分)』 朝桜楼国芳 出典:国立国会図書館データベース

味噌・醤油は日本独特の調味料である。醤油・味噌と言わないのは、味噌の製造過程で醤油の原型が発見されたからだと思う。その味噌は江戸時代、どのようにして食卓に上ったのだろうか。
味噌は毎日味噌汁として食べるのが普通で、見た目は現代とそう大差はない。庶民の食事は「一汁一菜(いちじゅういっさい)」とよくいわれるように、ご飯に汁(味噌汁)と香の物(漬け物)の三点セットが基本で、ときにはもう1品追加という具合だ。
想像力をもってこの浮世絵を眺めると「さあ、食べなさい」と母親が飯椀を手に、子どもの口に粥(かゆ)か雑炊を流し込んでいるようにも見える。ご飯にしては箸の角度がどうも違う。汁碗の味噌汁をご飯にかけて食べさせているとも考えられる。
この膳を「蝶足膳(ちょうあしぜん)」という。江戸時代の風俗を著した『守貞謾稿』に同様の絵が示されており、その説明には江戸では朝食用に用いた膳で、昼食・夕食用には他の膳で食べるとある。その理由はよく分からないが、いずれにしても長屋住まいの庶民は、蝶足膳のような立派なものでなく、「箱膳(はこぜん)」と呼ばれるものを毎日使っていた。

味噌のルーツは「醤(ひしお、しょう)」とされている。醤とは、大豆などの食材を塩漬けにして発酵させたものを指し、この発酵熟成途中のものが味噌であるという。未(ま)だ醤にならない段階なので「未醤」。すなわち、「みしょう」から「みそ」に転化したという説……ちょっと苦しい気もするが。
日本人はいつから味噌汁を飲んでいたかといえば、鎌倉時代の後半か室町時代と思われる。最初は、汁ではなく「なめ味噌」「豆味噌」だった。鎌倉時代に紀州の高僧が宋から味噌の製法を伝えたのが始まりで、大豆の粒が残る味噌でご飯に乗せおかずとして食べたようである。今もこの歴史を継ぐ金山寺味噌(和歌山県の湯浅町)が知られている。
やがて、味噌を搗(つ)くことが考案された。すり鉢に味噌を入れすり粉木で味噌をする方法。これを漉(こ)して湯に溶き実を入れれば、今のような味噌汁の登場である。日本人の味覚に合った味噌や味噌汁は、すでに江戸時代前に全国に広がっていた。

戦国時代には味噌が脚光を浴びた。合戦には米や塩も必要だったが、保存のきく栄養食である味噌も不可欠だった。兵糧として重宝されたからだ。戦国武将は地元での味噌造りに一生懸命だったようで、武田信玄の「信州味噌」、上杉謙信の「越後味噌」、伊達政宗の「仙台味噌」などがその代表である。

味噌は、米味噌、豆味噌、麦味噌などに分類できるが、江戸時代にはもう、全国各地でご当地の郷土色豊かな味噌が存在し各家で造られていた。“手前味噌”とは自分の所で造った味噌を自分で褒めることをいう。江戸の藩邸には、それぞれの国許の味噌が持ち込まれた。慣れ親しんだ自分の国許のものが一番旨いと自慢しあったことだろう。
家康は開府当初から故郷の「八丁味噌」「三河味噌」「三州味噌」などの豆味噌を江戸に持ち込み全国に広めた。また、江戸の人口が増えるにつれ、家康の命で「江戸味噌」(米味噌)が造られるほど味噌の需要は高かった。伊達家などは、材料をわざわざ仙台から取り寄せ江戸の下屋敷で「仙台味噌」(米味噌)を造っている。最初は江戸詰の藩士用だったが、評判になって市中に出回るようになったという。その下屋敷は別名、味噌屋敷と呼ばれた。

江戸では仙台味噌のような濃厚でこってりタイプの味噌が歓迎された。庶民が暮らす長屋には味噌を造るだけのスペースはないが、味噌を売る棒手振が頻繁にやってきた。汁の実も棒手振商人が毎日売りにきてくれるから便利なものだ。味噌は比較的安い食材だったこともあって、誰もが毎日味噌汁を飲むことができたのである。

文 江戸散策家/高橋達郎  参考文献 『守貞謾稿』喜多川守貞

ちょっと江戸知識「コラム江戸」

© 2015「はなちゃんのみそ汁」フィルムパートナーズ

映画『はなちゃんのみそ汁』

映画の試写を観る機会があった。「食」の大切さ、家族の絆、生きるってすごいことなんだと、改めて教えられる映画である。そして、自分の子どもに何を伝え残していくかを考えずにはいられない映画でもあった。

味噌汁は、不思議なほど素晴らしい飲み物であり食べ物である。日本は味噌汁の文化が約800年。江戸時代には、全国どの家庭でも毎日飲まれていたと思われる。それほど普及して現在まで続いているのは、日本人の味覚や食の風土に合致しただけではなく、一緒に食べる家族という背景があったからだと思う。“おふくろの味”と形容されるのはそのためだろう。どんな時代でも温かい味噌汁には、きっと家族のやさしさが入っているのだ。

料理研究家の先生には叱られそうだが、味噌汁をつくるのはそう難しくなく、いたってシンプル。味噌、出し、実、3つ揃えばとりあえずできる。ただ、この味噌汁という料理は奥が深いのも確かだ。味噌の選択から、何を使って出しを取るか、実にいたっては無数にありそうである。創意工夫も求められ、子どもに教える料理としてなかなかいいと思う。

映画のなかで、お母さんの知恵さん(広末涼子さん)が子どものはなちゃん(赤松えみなちゃん)にキッチンで味噌汁のつくり方を教えている。5歳の子に包丁を持たせて野菜を切らせるシーン。野菜を余すところなく使うよう教え、鰹節の削り方も教え、楽しそうだった。危なかっしさと、もどかしさを感じながらも、生きていく力を子どもに授けているように見えた。
「食べることは生きること」を教えてくれる映画、やさしい気持ちが戻ってくるような映画だ。『はなちゃんのみそ汁』は2016年1月9日から全国公開される。

文 江戸散策家/高橋達郎

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