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コラム江戸

参勤交代は盤石な大名統制システム。

『温古東の花諸侯参勤之図』 楊洲周延 (長州藩 江戸後期の参勤交代 高輪辺りを描いている)
出典:国立国会図書館貴重書画データベース

大名の最も重要な仕事は、領地をよく治めることである。それはそれで徳川将軍から課せられた一番の職務には違いないが、ことさら重要な仕事があった。それは参勤交代である。
参勤交代は大名行列とセットになっている。その大名行列は、今や観光イベントにあるような華やかで賑やかなものになったが、実際はどうだったのだろうか。

家光の時代に確立された参勤交代は、寛永12年(1635)の「武家諸法度」によるものである。簡単に言ってしまえば、大名側からみると「わが藩は徳川将軍に服属を誓いますので、その代わり私の領地を安堵、保証してくださいね」という意思表示であり、「いつでも徳川のために戦う準備を整えております」という姿勢である。
したがって、参勤交代の大名行列は「行軍」と捉えるのが本来正しい。が、時代が下るにつれて、だんだんパフォーマンス的な要素が強まり「名目」ばかりの行列になっていったのも事実である。

行軍である以上、槍・弓・鉄砲などの武器を携えての行列。冷静に考えてみると、気にかかることがある。多くの大名が参勤交代と称して江戸に大量の武器を持って行軍し、一斉に蜂起したらどうなるのだろう。そんな心配は幕府になかったのだろうか。江戸には各大名の藩邸があり、人質としての家族もいるので大丈夫と高をくくっていたのだろうか。
実際には、参勤交代をする各藩は半年も前に老中に「参勤伺い」をたてて許可をもらわなければならず、その日程、行程、人員等の届け出も必要で、幕府側は大名の詳細な動きを把握していて、反旗を翻す余地はなかった。200年以上も続いた参勤交代の歴史をみても何も起こってはいない。参勤交代は計算された大名統制システムだったといえる。

大名は1年を国許(くにもと)で、次の1年を江戸藩邸で暮らし、これを繰り返す1年サイクルの交代が一般に知られているが、そればかりではなかった。関東に領地をもつ半年サイクルの大名もいる。
特殊なケースとしては、2年に一度の参勤(福岡藩、平戸藩、佐賀藩など)や3年に一度の参勤(対馬藩)、6年に一度の参勤(松前藩)もある。サイクルが長い藩は、いずれも対外国との交渉や警護の役目があったからで、在府の期間も短かった。
例外として御三家の水戸藩は定府(じょうふ)、参勤交代はない。また、老中、若年寄など幕府役職に就く者も免除された(任期中)。
全国に大名は二百数十藩、皆行列をなして江戸に向かい(参府)、帰っていく(帰国)。それだけでも大変なことで、街道も宿場も混雑する。各藩の参勤交代の時期は年間を通して分散され、幕府にコントロールされていた。大名が勝手に参勤交代の日程を決めることはできず、すべて幕府の許可のもとに行われていたのである。

各藩の規模(石高)、家格によって参勤交代の規模やその内容がおよそ決められていた。最大の規模を誇る加賀百万石の大名行列から1万石程度の大名まで行列は様々である。騎馬、足軽、人足などの人数の基準も設けられている。
加賀前田家、薩摩島津家、仙台伊達家などの雄藩は千人、二千人を越える行列で、他藩を凌ぐ華やかな行列で権力を誇示した。しかし、これらの外様大名は皆江戸から遠く、日数もかかり移動が大変だったばかりか、多額の費用を要した。
大名行列は、平坦な陸上を進むだけではない。山を越えたり河を渡ったりしなくてはならない。島津家などの九州の大名は瀬戸内海を船で大坂まで行く海路を利用した。後に経費削減と海難事故を避けるために陸路に変更している。時間がかかっても、海より陸の方が決められたスケジュール通りに進めたことが理由らしい。
期間短縮のために大きな船で直接江戸湾に入る方法も考えられるが、これは江戸の防衛上認められていなかった。藩で大きな船(軍船)を造ることが禁止されていた事情もある。

江戸の庶民たちは大名行列をどう見ていたのだろう。道の脇に寄って“ははー”と言わんばかりに土下座して頭を下げている姿を思い浮かべそうだが、実際そんなことは稀だった。御三家や徳川一族の行列は土下座しなければならないが、大多数の行列は敬意を払うものの土下座はしないようだ。それは残された浮世絵や絵図類を見ると、歩いている人、眺めている人がいることからも判明する。
庶民は全国からやってくる多くの大名行列を見物して楽しんだ。『武鑑』を片手に大名の品評をして会話に花が咲いたことだろう。『武鑑』は全国の大名便覧ともいえる毎年改訂発行された冊子だ。家紋や旗印、槍などの行列の道具が絵入りで紹介され、大名の官位、系図、江戸藩邸の場所なども載っているガイドブックである。
行列を見られる側も藩の威信をかけて、当然パレードに力が入ることになる。──それを見物し娯楽とした庶民との関係が面白い。

文 江戸散策家/高橋達郎

ちょっと江戸知識「コラム江戸」

映画『超高速!参勤交代リターンズ』


©2016「超高速!参勤交代リターンズ」製作委員会

大名にとって参勤交代が、いかに重要な行為であり、また大変であったかがよく分かる映画である。小大名の悲哀を涙と笑いで描いた娯楽作品だ。
その大名は、陸奥国磐城(いわき)の湯長谷藩(ゆながやはん)四代藩主、内藤政醇(ないとうまさあつ)。現在の福島県いわき市に実在した藩であり大名である。湯長谷藩は磐城平藩の支藩として江戸初期に成立した1万5千石の小藩だ。ただ、内藤家は一度も国替え・転封もなく幕末まで十四代も続いた珍しいケースではないだろうか。それだけ善政をしいたことが伺われる。もちろん参勤交代もきちんとこなしたに違いない。

どこの藩でも参勤交代で頭をかかえていたのは費用の問題である。だいたい藩の財政の半分は参勤交代に費やされているのが実情だ。湯長谷藩クラスの大名なら、60〜80人位の行列を整えるのが普通だろう。旅費の他にも人足を雇う費用、献上品の費用、江戸での生活費もかかる。とにかく参勤交代はお金がかかるのだ。かといって、費用捻出のために高い年貢を領民に課して百姓一揆でも起こされようものなら、良くて減封・国替え、下手をすると改易(領地没収)になってしまう。

映画のポスターには、『金なし!人なし!時間なし!おまけに帰る城もなし!?』という文字が踊っていた。参勤を終えて湯長谷まで帰る途中で起こるハラハラドキドキの出来事…。領民に慕われる大名役の佐々木蔵之介さんもいいが、家老役の西村雅彦さんも面白い。意地悪で冷酷な老中役の陣内孝則さんもいい味を出している。
この映画は、2014年公開『超高速!参勤交代』の続編。「参勤」とは江戸に行くこと、「交代」は藩主が江戸から国に帰ることをいう。前作が「参勤」、続編が「交代」のストーリーとなっている。前作を観ていなくても十分楽しめる。『超高速!参勤交代リターンズ』は、2016年9月10日(土)全国ロードショー。

文 江戸散策家/高橋達郎

クリナップは『超高速!参勤交代リターンズ』に協賛しています。

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