広重や北斎ばかりが浮世絵ではない。このような絵も浮世絵であり、一般的には「おもちゃ絵」というジャンルに区分されている。名前からも想像できるように、子ども向けの絵本のようなものだ。初期のものは遊びというより教育的要素が強く、対象物を分かりやすく、より具体的に描いてあるのが特徴である。浮世絵の浮世とは、本来「現実の社会」を意味している。おもちゃ絵は確かに浮世絵といえそうだ。教育用として描かれたものは、誇張や演出もあまりないことから、当時の暮らしを知る史料としては貴重である。おもちゃ絵は錦絵の技術が普及した江戸後期に登場した。
この絵を眺めると、江戸時代の暮らしが見えてきそうだ。それがいったいどんな物かはっきりしない絵もあるが、よく見てみると昔はどこの家庭にもあったような道具も多い。現物が記憶に残っている方もいるだろう。でも、ほとんどの物が消え去った。日本人の暮らしは、この数十年ですっかり様子が変わったとつくづく思う。
絵の上部欄外の「かつて道具尽」は「お勝手の道具一覧」という意味で、台所まわりにある物をテーマとしている。行灯(あんどん)や炬燵(こたつ)が台所にあったのかと不思議に思うかもしれないが、これは当時の狭い住宅事情からだろう。長屋住まいなら、いわゆる火を使う台所の目と鼻の先に居住空間の部屋があり、リビングもダイニングもキッチンも同一空間といっていいほどである。
この絵に表現された道具は生活に必要な物ばかりだが、一世帯でこれだけの物を全部所持していたとは思えない。狭い長屋にそれほど物を置くスペースはなく、だいいち経済的にも無理だったと思う。このおもちゃ絵は、台所の百科事典と考えたほうがよさそうだ。
絵の一番下の列は、右側から「かまど(へっつい)」「流し」「茶だんす」。かまどは、土間に直接設置したものもあれば、台に乗せたものもあった。作業を楽にするため、高さを上げて工夫したのだろう。その左が流し台、当時はすべて木製でシンクに相当する部分が浅いのが特徴。流しに水を張って使うことはなく、手桶を置いて、その中に食器を入れて洗うため浅くて十分なのである。流しの上には飲料水を貯蔵する「水瓶(みずがめ)」がある。ゴミが入らないよう蓋が乗せてあり、柄杓(ひしゃく)で汲み出して使う。水瓶の水は、共同井戸から「手桶(ておけ)」に入れて少しずつ運んでくる。これは子どもの仕事でもあった。
ここに描かれた道具は半永久的に使える物だったといえば、現代人は驚くだろう。江戸の人々は何でも修繕して使っていたのである。破れた傘は張りかえればいいし、塗り物なら塗り直せばいい、鍋に穴があいても鋳掛け直せばまた使える。それに道具のほとんどは木製だから最終段階では、かまどで燃やせば燃料にもなる。無駄がなくゴミも出ない。しかし現実的には江戸の町は火事が多く、そのほとんどは寿命を終える前に燃えてしまったと言っていいだろう。 |