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2023年、NHK連続テレビ小説『らんまん』の主人公、槙野万太郎のモデルは、日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎(1862-1957)である。
牧野は植物学の研究に打ち込み、新種や新品種など1,500種類以上の植物を命名した日本が世界に誇る植物学者だ。彼は江戸から昭和まで生き、94年の生涯を通して自身の研究と同時に、植物に関する教育普及活動にも熱心な教育者であった。植物の研究家や愛好家のために、遠隔地まで足を運んだりもした。生涯をかけて植物学と向き合ったその一途な姿は、ドラマによく表れているように思う。彼が著した『牧野日本植物図鑑』(1940年初版)は、今でも専門家をはじめ多くの人に読み継がれているという。
小石川植物園(文京区白山3-7-1)の正式名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」。牧野が在籍した東京大学植物学教室は、この小石川植物園にあった。ドラマ内で万太郎が植物採集をするシーンの一部は、園内でロケが行われた。
植物園の歴史を紐解いてみると、江戸時代から植物学関係の実験、研究が進められてきた場所であったことからも、ここに植物園がある理由が分かってくる。
・貞享元年(1684)、5代将軍綱吉が「小石川薬園」を開設。
……館林藩下屋敷内、綱吉は館林藩主から将軍になった。
・享保7年(1722)、8代将軍吉宗が「小石川養生所」を開設。
……無料の医療施設、いわゆる病院。貧民救済の目的もあった。
・明治10年(1877)、東京大学附属の植物園となる。
・平成24年(2012)、国指定名勝および史跡となる。
- 薬園保存園
江戸幕府の薬園当時の薬用
植物を栽培している
甘藷試作跡の碑
クスノキ
珍しい石を用いた碑である。そのためか碑の文字がなかなか判読できない。享保20年(1735)、甘藷先生と呼ばれる青木昆陽(あおきこんよう)は、ここで甘藷(サツマイモ)の試作を行い成功を収めた。その功績を称えた記念碑。サツマイモは、救荒食として飢えから人々を救った歴史がある。
東西約750m・南北約300m(約16ha)ある小石川植物園は、園内を歩くだけでも貴重な植物に出会える。「クスノキ」「精子発見のイチョウ(樹齢300年)」、温室や冷温室(公開)など。
歴史ある建物も見逃せない。「旧東京医学校本館(重要文化財)」は明治9年(1876)の建築。正門近くの「本館」内部は非公開だが、東京大学植物標本庫(約70万点)や研究室などがあり、内外の研究者に利用されているという。
- 本館
一般に公開されている小石川植物園だが、入園には少し注意が必要だ。この植物園は公園とは違って、あくまでも植物学の研究・教育を目的とした場所で、東京大学の附属施設であることだ。入園の際には、そのへんに留意して園内の散策を楽しみたい。
小石川植物園は日本で最も古い植物園であり、世界でも有数の歴史をもつ植物園の一つである。
文・写真 江戸散策家/高橋達郎
参考資料/小石川植物園資料、高知県東京事務所資料
イギリスの物理学者、ニュートン(1643-1727)は、庭の木からリンゴが落ちる様子を見て「万有引力の法則」を発見(1665年)したことになっている。そのころ日本は江戸時代、第4代将軍家綱の治世だ。
そのリンゴの木が小石川植物園にあるのをご存じだろうか。何とも奇妙な話ではある。資料によれば、ニュートンの生家にあったリンゴの木は、接ぎ木を重ねて各国の科学機関に分譲され、日本には昭和39年(1964)にやってきたのだという。
リンゴの木の子孫は現在各地で育っている。ニュートンが学んだイギリスのケンブリッジ大学にもある。国内では「広島大学」「横浜市こども植物園」などにもあり、こちらは小石川植物園から譲り受けたリンゴの木。
「ニュートンのリンゴ」のすぐ近くに「メンデルのブドウ」の木がある。こちらも歴史的な意味合いが強く、メンデル(1822-1884)が「遺伝の法則」の実験で実際に使った葡萄の分株という。メンデル遺伝の法則といえば、教科書ではエンドウ豆で載っていたように記憶しているが、ブドウでも研究していたのである。
- メンデルのブドウ
「ニュートンのリンゴ」と「メンデルのブドウ」、偉大な人物の名前がつくと、なぜか有り難みを感じてしまう。我々はどうも由緒あるものに弱い。一度食べてみたいものだが、はたしてどんな味がするのだろう。
文・写真 江戸散策家/高橋達郎
参考資料/小石川植物園資料
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