元禄14年(1701)3月14日、江戸城の松之廊下において、播州赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が高家筆頭・吉良上野介(きらこうずけのすけ)を斬りつける「刃傷松之廊下」事件が起こった。これを発端とした一連の出来事が元禄赤穂事件だ。

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• 松の大廊下跡の碑
  (皇居東御苑)

内匠頭は「この間の遺恨覚えたるか！」と啖呵を切って、小刀(ちいさかたな)で上野介に襲いかかる。しかし、その場に居合わせた梶川与惣兵衛(かじかわよそべえ)に羽交い締めにされ止められる。上野介は額を斬られ背中にも傷を負ったものの、すぐに手当を受けて命には別状なかった。その日は、朝廷から勅使を迎える式典の最終日。内匠頭(35歳)は饗応役(接待役)、上野介(61歳)は有職故実に明るい指南役という関係である。内匠頭は上野介から事前に教えを受け作法を学んでいたが、二人の関係は険悪だった。

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• 『清書七伊魯婆』
  左／内匠頭(塩冶判官)
  右／上野介(高師直)

内匠頭が刃傷に及んだ理由がどうもはっきりしない。原因は、嘘を教えられ恥をかされた内匠頭が我慢の限界を越えたとか、謝礼が少なかっために上野介が腹を立てていたとか、色々考えられる。今まで多くの説が語られてきた──上野介から受けたいじめの復讐説もあれば、突発的な乱心説もある。ただ、恨みが積もり積もってのことだったと想像する。

刃傷の場所がよりにもよって殿中であったがために事は重大である。時の将軍綱吉の申し渡しは、内匠頭は即日切腹、上野介はお咎めなし、というものだった。喧嘩両成敗の武家社会のなかで、この不公平ともいえる裁定が、江戸庶民に注目されながら、後の「討ち入り」につながっていくのである。
江戸城内での刃傷事件は前例もあり、刃傷を起こした者はその場で斬られるか切腹、御家断絶となっている。内匠頭がそれを知らないはずはずはない。それでも赤穂藩主内匠頭は刃傷に及んだのだった。結果は、切腹のうえ改易、城を明け渡し赤穂藩5万3500石は没収された。家臣やその家族らも巻き込むようなことをなぜできたのだろうか。そこには、現代人には理解できない武士としての矜持や威厳、生き方があるように思う。
その後、浅野家家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)は、主君内匠頭の無念を晴らし汚名を返上するため、元禄15年(1702)に吉良邸に討ち入った。江戸の人々は上野介の首級(しるし)をあげた「赤穂四十七士」に喝采、この日を期待していた感もある。

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  吉良邸跡と吉良上野介義央公座像(墨田区両国3−13−9)

討ち入りをした所は上野介の上屋敷。現在、敷地は86分の1と狭くなったが、本所松坂町公園に吉良邸跡(都指定旧跡)として残されている。上野介座像や首洗い井戸、松坂稲荷があり、吉良邸見取り図なども掲示されている。
歌舞伎やドラマ、映画などの『仮名手本忠臣蔵』は、この『赤穂事件』がもとになっている。忠臣蔵の名称で日本人には馴染み深いものだ。だが、忠臣蔵は創作物であることを忘れてはならない。史実もあるが、虚実も多い。忠臣蔵はロングランの大ヒット作である。時代とともに、観衆・聴衆により喜ばれるように、史実から乖離し、盛りに盛られて内容が変化してきたのではないだろうか。
例を挙げれば、悪役の上野介はよりずる賢く、大悪人とされ、内匠頭は義理人情に厚く武士として立派な人物として登場する。
刃傷の場面でも気になる部分がある。考えてみれば、斬りかかった内匠頭は加害者で、上野介は被害者だ。いくらパワハラやいじめがあったにせよ、殿中で許されるはずもない。
上野介の肩を持つわけではないが、領地では領民から慕われ、善政を敷いた名君である。治水のために私費で造った黄金堤(こがねづつみ／愛知県吉良町)は今も残り、桜の名所となっている。

文・写真　江戸散策家／高橋達郎
錦絵出典／国立国会図書館貴重画データベース
参考文献／『忠臣蔵外伝「その日の吉良邸」』