『韮山反射炉』静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268(平成27年7月、世界文化遺産に登録された)
肖像画出典 『地方行政史料小鑑』国立国会図書館貴重画データベース
「日本で初めて○○をつくった人は?」「日本で初めて□□を食べた人は?」などは、クイズ番組の問題のようであり、ウンチクも付いてまわるので面白い。よく知られているのは、日本で「初めてワインを飲んだ織田信長」「初めてラーメンを食べた水戸黄門」「初めてチョコレートを食べた支倉常長(伊達政宗の遣欧使節)」……と、どこまで本当かは別としていろいろある。
もし、クイズで「日本で初めてパンをつくって食べた人は誰か?」という問題が出たら、正解は江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)である。江川太郎左衛門英龍(ひでたつ)、短く江川英龍、号からいえば江川担庵(たんあん)でもいい。
江川家は伊豆韮山(にらやま)を本拠地とした名家で、江戸時代には代官を務めた家柄、代々太郎左衛門を名乗った。江川太郎左衛門英龍はその三十六代目の当主である。一般に、江川太郎左衛門とはこの英龍を指すことが多い。
英龍は、日本の「パン祖」と呼ばれる人物である。天保13年(1842)、長崎出島のオランダ商館料理人の作太郎なる人物を江川邸に招き、パンを焼き始めた。出島の外国人はすでにパンを食べており、作太郎はそのパンを焼く職人だった。
なぜパンを焼こうと英龍は思いたったのか、そこには理由がある。軍事食として注目したからだ。日本人の戦いの兵糧は、戦国時代もそうであるように米が基本だ。米は重たい。炊飯すれば煙も出る。握り飯は短期決戦ならいいがすぐ腐る。米を蒸して干した干飯(ほしいい)、糒(ほしい)と呼ばれるものは、昔から携帯食として重宝され行軍に欠かせなかったが、食べるときに湯でもどさなければならず不便さがあった。
その点パンは軽い。日持ちもする。英龍は兵糧にもってこいの食べ物と考えたのだ。
英龍が活躍したのは鎖国がいよいよ終わろうとする時代で、開国前夜である。代官であるとともに、兵学者で有能な幕臣だった。日本近海に外国船が出没し、やがて黒船来航を迎えることとなる。幕府は、外国との戦いも想定しなくてはならなかった。
江川太郎左衛門英龍は「パン祖」よりも「砲術家」としてよく知られている。海防の必要性を幕府に建議し、江戸湾に「台場」を造った人物だ。台場とは大砲を備えた要塞で、予定の11台場中5台場までの完成をみた。現在は第三台場と第六台場(無人島/立ち入り禁止)だけが残る。
また、それに関連して「韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)」を建造している。ひと言でいえば、大砲の製造工場である。鉄製の大砲を鋳造するためには、写真にあるような巨大な設備を必要とした。空に高く伸びているのはその煙突部分、鉄を溶かす反射炉の中を千数百度にするために一役買っている煙突である。
話がパンから逸れてしまっていると思うかもしれないが、「パン祖」江川太郎左衛門英龍は、「台場」と「韮山反射炉」を抜きには語れない。
一代官であった英龍は、同時に蘭学、砲術に長けた逸材で、幕府のいわば軍事顧問として幕末における海防政策を次々と打ち出している。西洋砲術の導入、海軍の創設、農兵制度の導入も唱えた。
パンを兵糧にするという英龍のアイデアは、兵学者らしいなかなかの発想だと思う。国防という観点からパンを焼いたのだ。
パンを焼いた場所は反射炉から少し離れた所にある江川邸(代官所)。江川家住宅(重要文化財)は1600年頃に建てられたものという。大河ドラマ(篤姫)のロケに使われたほどの威容を誇る玄関がある (静岡県伊豆の国市韮山韮山1番地)。
初めてパンを焼いたのが天保13年の4月12日のことだった。「パン食普及協議会」では日本のパンの発祥の日ととらえ「パンの記念日」とした。また、毎月12日を「パンの日」と決めている。
パンは天文12年(1543)の鉄砲伝来とともに日本に伝わったとか、フランシスコ・ザビエルが伝えたとか、いろいろ言われるがどうもはっきりしない。禁教令の影響もあって、外国人の食べるパンを日本人が食べる機会はあまりなかったのではと思う。
鎖国下においても長崎出島ではすでにパンを焼き食べていたが、パンに注目し、本格的に焼こうとしたのは幕末になってからのようである。……英龍が軍事食としてつくった当時のパンは、いったいどんな味がしたのだろう。
文・写真 江戸散策家/高橋達郎
参考文献 『反射炉に学ぶ』山田寿々六
『クリ夫のパン屋』(東京都荒川区西日暮里6-10-11)
パンの種類を調べてみたら驚くほど多い。世界には見たことも食べたこともないパンがいっぱいだ。それぞれの地域によってパンの歴史があり、材料やつくり方、食べ方にも特性があって面白い。
日本人にパンが普及し始めたのは、明治以降のこと。明治7年(1874)、木村屋(木村屋總本店)の創始者が考案したのが「あんパン」である。なじみのないパンを日本人の口に合わせるために、餡(あん)を入れて和菓子的な感覚で打ち出したことが受け入れられたようだ。パンが広く普及したのは「あんパン」のおかげだと思う。
日本の各地に、その地域の特徴を生かした町のパン屋さんがある。“ほんとうにおいしいパン”は、有名店以外にも実際数多く存在している。そんなパン屋さんを探しながら町を歩くのも楽しいものだ。
最近オープンしたばかりの西日暮里にある『クリ夫のパン屋』に立ち寄ってみた。こぢんまりとしたお店、中に入ると焼きたてパンのいい香りが迎えてくれた。
おすすめを店長さんに聞くと、店名を冠した「クリ夫のあんぱん」。上部にはキャラクターの「クリ夫」の焼印。味とは関係ないだろうが、こんなパンの楽しみ方もある。帰り道、さっそくほおばると中はほんのり甘い「つぶ餡」とクリーミーな「ホイップ」。やっぱり「あんパン」はパンの原点だと妙に納得してしまう。『クリ夫のパン屋』なら、「栗あんパン」や「マロンパン」もあれば食べてみたいなと、ふと思った。
パンづくりを趣味にしている人もいる。大げさな機器がなくてもホームベーカリーを使えば手軽にパンをつくれる。材料や焼き方などを工夫すれば、わが家のオリジナルパンの出来上がり。家庭の味がパンというのはピンとこないが、そんな時代もくるかもしれない…。
文 江戸散策家/高橋達郎
取材協力 『クリ夫のパン屋』
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