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コラム江戸

おんな城主、井伊直虎と戦国の家族関係。

龍潭寺庭園(国指定名勝) 龍潭寺境内には元祖共保公から二十四代直政公までの墓地がある。

大河ドラマ『おんな城主 直虎』の影響で、井伊直虎がにわかに注目を集めている。直虎のふるさと、ドラマの舞台となった井伊谷(いいのや)を訪れる観光客も多い。
井伊家は遠江(とおとうみ)の井伊谷(静岡県の浜名湖の北方)を支配していた有力な国人領主で、直虎は二十二代当主・直盛(なおもり)の子として生まれた。通常なら姫君としての生涯があったはずであろうが、そうはいかなかった。直盛に男子がなく、直虎は一人娘だった。その直虎が懸命に井伊家を支えていく姿を描いたのが『おんな城主 直虎』である。

直虎の家族関係、井伊一族の成り立ちは混み入っている。直虎の苦悩はどれほどであったろうか。戦国時代とは非情なもので、領主や大名などは、家族が揃って一家団欒などということはそうはない。戦死者も出るし、家族がバラバラになってしまうこともある。領地を守っていくために、対立する他家と婚姻関係を結ぶのはよくある。早い話が人質だ。個人の意思より家が優先する。井伊家もそうして生き残ってきた。
直虎の家族関係図 ●祐椿尼(千賀)は今川氏重臣、新野氏から輿入れ。●直平の娘(佐名)は今川義元の側室に入り、後に今川家臣と結婚。●築山殿(瀬名)は家康の正室。●直盛の従兄弟直親が二十三代当主に立った後に、直虎と結婚する予定だったが叶わなかった。●井伊家家臣奥山の娘(しの)は直親の正室、直政が生まれる。後に家康家臣の松下家に嫁ぐ。(ドラマでの名前)

おんな城主となって井伊家を率いていく直虎は、主君であるはずの今川義元・氏真の圧力に耐えながら、勢力拡大を狙う北の武田信玄、西の織田信長を心配しなければならなかった。
永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで義元が信長に討たれると、徳川家康も台頭してくるというありさまで、群雄割拠する戦国時代の真っ只中であった。
直虎が活躍した時期は、織田信長の時代と重なっていることを頭に入れておけば、この時代をイメージしやすい。直虎の生年ははっきりしないが、亡くなったのは天正10年(1582)、本能寺の変の2カ月後である。

井伊谷を訪れたならば、井伊家の菩提寺「龍潭寺(りょうたんじ)」に足を運びたい。住職の南渓(なんけい)和尚から竜宮小僧(直虎)が教えを受けた寺。小堀遠州作の庭園は見応えがある。井伊氏歴代墓所も見学しよう。並んだ墓石は奥から、直盛(父)、直盛夫人(母)、直虎、直親(許嫁)、直親夫人の順である。直虎と直親が並んでいる。何とも言えない安堵感を覚える。ドラマのファンならば、この墓石の配置を見て込み上げるものがきっとあるだろう。

龍潭寺からすぐ近くの「共保公出生の井戸」も必見のスポット。井伊家初代共保(ともやす)が生まれたという伝説をもつ、ドラマでは形は違うが度々登場する井戸である。中を覗くと水が少しあり、賽銭が投げ込まれていた。井戸の上部の造りが、井伊家の家紋である「井」の形に石を組んであることに感心、納得する。
共保公出生の井戸

おんな城主直虎の歴史的評価は、二十四代となる直親の遺児・直政(なおまさ)を後見し、家康に出仕させたことにある。直政は家康の身辺をよく警護し数々の合戦で武功を上げ、徳川四天王と称された勇将である。関ヶ原の後に彦根18万石を拝領、初代藩主となる。
二代藩主直孝(なおたか)は大坂冬の陣・夏の陣で大活躍。盤石となった井伊家は江戸時代を通して幕府を支え、加増を重ね30万石(譜代大名中最高石高)に達した。また、彦根藩は5人もの幕府大老を輩出した名藩でもある。幕末に開国を断行した十五代藩主、井伊直弼(なおすけ/井伊家三十六代)はあまりにも有名である。

文・写真 江戸散策家/高橋達郎
イラスト 新道武司
参考文献 『龍潭寺』龍潭寺

ちょっと江戸知識「コラム江戸」

うなぎ蒲焼 写真提供:浜松観光コンベンションビューロー

浜名湖といえば「浜名湖うなぎ」。

浜名湖うなぎは、養殖うなぎの代名詞といっていいほどである。うなぎの養殖は技術的に大変難しいとされてきたため、その歴史はそれほど古くはない。明治24年(1891)頃、浜名湖周辺の池で初めて養殖へのチャレンジが始まり、その後明治33年(1900)になって、服部倉次郎が養殖の事業化に成功した。浜名湖はうなぎ養殖の発祥の地である。
養殖が盛んになったのは温暖な気候に恵まれ、浜名湖に遡上してくるうなぎの稚魚が豊富に捕れたことだ。
浜名湖の中で養殖をしていると何となく理解していたが、それは大きな間違いだった。昔から浜名湖の周辺に造られた専用の池「養鰻池(ようまんいけ)」で養殖されている。その池の水は、養殖に適したミネラル豊富な地下から汲み上げた天然水という。

うなぎは古くから食べられ、江戸時代には、平賀源内(ひらがげんない)の“本日土用丑の日(ほんじつどよううしのひ)”の名文句が当たって普及したようである(詳しくは第66回を参照)。土用丑の日にうなぎを食べる風習はすっかり根付き現在に受け継がれている。2017年は7月25日と8月6日。旧暦では全ての日に十二支があてられており、この18日間に2回丑の日がある。
一般に土用は立秋前の18日間を指し、なぜ丑の日かといえば、丑も鰻も「う」から始まるという洒落だ。

東京と大阪の中間に位置する浜松市では、関東風(背開きにして蒸してから焼き、タレを付けて再び焼く)と関西風(腹開きにして白焼きし、蒸さずにタレを付けて焼く)の両方を楽しめる。浜名湖うなぎは、いずれもふっくらして身がしまり脂が乗っていると評判である。
ビタミンAやビタミンB1など栄養素が豊富なうなぎ。土用丑の日に限らず、この時季にはやっぱり食べたい。夏バテ対策に有効な食べ物としてチェックしておこう。

文 江戸散策家/高橋達郎

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