風鈴市の様子 (上部は厄除だるま風鈴、右下は境内にある八角五重塔の風鐸)
風鈴の歴史は古い。だが風鈴市はどこも最近のもので、朝顔市やほおずき市のような歴史はない。夏になれば各地で風鈴市や風鈴祭りが開かれるが、それはみな戦後のものだ。関東で開かれる風鈴市で最も規模が大きいのは、川崎大師(神奈川県川崎市)の風鈴市だろう。平成26年で第19回を数える。例年全国47都道府県から、その地域の特性をもった風鈴が一堂に集められ展示・販売される。
庶民の生活のなかに風鈴が入ってきたのは、天保(1830~1844)の頃で、広く普及したのは幕末から明治期のようである。
風鈴の歴史は、ガラスの歴史に関わりが深い。有名な浮世絵に喜多川歌麿の『ビードロを吹く娘』がある。このビードロとはガラス製の音の出る玩具で、口から息を吹き込んだり吸ったりして音を出して遊ぶものだ。底面部分のガラスが薄くなっていて、ペコペコ動く。その音から「ポッぺン」「ポピン」とも呼ばれた。当時のガラスは鉛分が多く、今より柔らかかったからできたのである。
歌麿の美人画に出てくるくらいだから、高貴な遊びだったことは想像できる。当時どんな音色だったかは聞いたことがないから分からない。それ以前に、こんな遊びが面白いかどうかは疑問なのだが……。試してみたいという方は、ネットで「ぽっぺん」を探せば現代板のぽっぺんが購入できるので、やってみるのも一興だろう。
『ビードロを吹く娘』は18世紀末の寛政期の作品、その100年前には、すでに長崎に「吹きガラス」製法が伝わり、大坂、京都、江戸に伝播し、ビードロ師(ガラス職人)が活躍するようになる。ガラスの簪(かんざし)、徳利(とっくり)、金魚玉(きんぎょだま)、そして風鈴も作られるようになった。ガラスの音を楽しむという点では、風鈴はビードロ(ポッペン)に近い発想なのかもしれない。なお、金魚玉とは、今は見られなくなったが、金魚鉢を小振りにしたような球形のガラスの器、中に金魚を泳がせ網などで吊るして観賞するものである。いずれのガラス製品も最初は高級品で、なかなか手の届くものではなかった。やがて生産量も増え、江戸後期から幕末にかけて江戸庶民の生活に浸透していくようになる。
大江戸八百八町”は、江戸中期(18世紀前半)になるとこの数字を上回り、江戸後期には1,600~1,700ほどの町(ちょう)が存在した。これは町奉行の支配地が広がり、江戸が拡大したことによる。この町が江戸の行政単位で、町の地主たちが町の運営をまかされていた。つまり、八っつあん、熊さんは税金がないかわりに口を出すことはできず、町の運営権はもっぱら地主が有していたのである。
江戸の行政システムは町奉行を頂点に、町年寄(まちどしより)…町名主(まちなぬし)…地主というピラミッド型だ。町年寄は江戸開府以来、三家(奈良屋、樽屋、喜多村)の世襲。その下の町名主はランクがいろいろあったが、地主のうちの代表者(有力者)と位置づけられ、今で言うと区長あたりに相当する。その下の地主が実質的な町の運営者であり、合議で物事が取り決められた。町役人(町役人)とは、通常この町年寄、町名主、地主を指している。町奉行所からの町触(まちぶれ)もこの順で伝達された。
町の運営の仕事は多岐に及ぶため、地主は「家主(いえぬし)」と呼ばれる代理人を立て、家主で構成される「五人組」が実際の町政を担っていた。
硝子(ガラス)は、オランダ語のglasを後に当てた漢字である。江戸時代には、ビードロともギヤマンとも呼ばれた。明治・大正期の書物には、硝子にビードロとふりがなのある表記も度々見られる。ビードロはポルトガル語のvidroから、ギヤマンはオランダ語のdiamantからきたもので、ガラスの製法が中国の他に、ポルトガルやオランダからも伝わったことを物語っている。また、瑠璃(るり)、玻璃(はり)という、仰々しい呼び方もあった。当時の人々にとって、ガラスは宝石や水晶のように美しく貴重なものだったことがうかがわれる。
ガラス製品には切子(きりこ)という分野がある。ガラスにカット文様を刻んだもので、江戸切子と薩摩切子が有名だ。両方とも江戸後期から作られた。江戸切子は国の伝統的工芸品に指定されている(平成14年)。薩摩切子は明治初期に一端途絶えたものの現在は復刻生産されている。風鈴の切子が江戸時代にあったかどうかは残念ながら不明である。
風鈴のルーツは風鐸(ふうたく)にあると考えられている。風鐸とは、寺や仏塔の軒に吊るされた鐘(通常は青銅製)のことだ。普通、屋根の四隅にかかっている(写真参照)。風が吹くとカランカランと音がする。この音が邪気を払い、魔除けをしてくれるのだそうだ。大きさこそ違うが音を出す仕組みは同じ、風鈴に形状がよく似ている。風鈴にもこの思想があり、川崎大師のオリジナル風鈴は、厄除だるま風鈴と呼ばれている(写真参照)。
話を風鈴市に戻すと、川崎大師の境内には全国の風鈴がずらりと並ぶ。切子の風鈴もここにはあった。ガラス製をはじめ、有田焼や九谷焼などの陶器製、南部鉄で知られる鉄製、竹や炭を用いたものもある。好きな素材の好きな音色を選んで買い求めるできる市だ。
風鈴の音色に涼しさを感じるのは、日本人独特の文化ではないだろうか。日本人は、ひょっとして音の感性に秀でた民族かもしれない。うるさく、鬱陶しいと感じる人も確かにいる。マンション住まいで、隣に気遣って音を出せないという事情もあるだろう。考えてみれば、風鈴は生活にどうしてもなくてはならないものではない。だが、こんな文化・伝統こそ受け継いでいってほしいものである。
文・写真 江戸散策家/高橋達郎
篠原まるよし風鈴 台東区台東4-25-10 tel.03-3832-0227
200年以上も続く、江戸時代からのガラス風鈴が現在も受け継がれている。昔はビードロ風鈴とも呼ばれていたようだ。江戸風鈴という名称は後年一般化したもので、商標登録である。
江戸風鈴師は東京に現在3名、伝統ある製法を守り続けている。そのうちの一人、『篠原まるよし風鈴』の篠原正義さんにお話を聞くことができた(川崎大師風鈴市の厄除だるま風鈴は、篠原正義さんが作っている)。
「風鈴本体は型を使わないで、ガラスを吹いて空中で形を作り出す“宙吹き(ちゅうぶき)”というやり方です。絵柄は実はガラスの内側から描いています」。
同じ大きさで均一な厚さにガラスを吹くには、10年はかかるという。それにしても風鈴の下の口から筆を入れて絵や文字を左右逆に描くというのはかなりの芸当である。昔は専門の絵師がこれを担当したというが、篠原さんは見事にやってみせてくれた。
蕪(カブ)が描かれた江戸風鈴(写真中央)。このデザインが気に入った。どこか、すっとんきょうで可愛らしい。何でこんなものを題材にするのだろう。聞いてみれば、風鈴は縁起物の一つだという。「カブ」は「家富」の洒落、江戸庶民の気持ちが伝わってくる。武士なら「家武」ということになりそうだ。
店頭で風鈴の選び方を教えてもらった。江戸風鈴は、下方部の振り管のぶつかる風鈴の縁の部分がギザギザになっているのが特徴だ。このギザギザが微妙な音を演出してくれる。同じデザインでも一つ一つ音色が違うので、音を聞いて好きなものを選んでほしいとのこと。
「風鈴は、自然の風の呼吸を心地よい音にして届けてくれるもの。見た目も大事ですが、音こそが命です」。
文・写真 江戸散策家/高橋達郎
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